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手渡したいのは青い空

西淀川公害の患者さんたちが、大企業を相手に起こした裁判の中で見つけた言葉です。

自分が何をしたわけではない、当たり前にそこに暮らしていただけなのに、なぜこんなに苦しまなければならないのか。
ささやかな幸せを手にしたかった、誰もが願うことが、叶わないのはなぜなのか。

苦しさが積み重なっていった時、それが「公害」だと知り、怒りがわいた。私は怒りの塊だ、と、患者さんが語ってくれました。

でも、孫ができて、あの苦しみを味わってほしくない、本当にそう思う、とも。
「手渡したいのは青い空」という言葉のとおりに。

今日は、患者さんと、患者会活動をずっと支援されてきた方に、ゼミ生と一緒にお話を伺いました。
ただお話を聞いたのではなく、動画撮影のために。
映像作品にして、より多くの人に患者さんの思いを知ってもらうために。
西淀川公害訴訟で企業が支払った和解金をもとにつくられた、あおぞら財団の事業の一環です。

今回は、この、誰かに伝えるために聞く、というのが大事かなぁって思います。
公害なんて、過去にあったこと、自分とは関係ないこと。
患者さんに話を聞いても、「へぇ、そうなんや、大変だったんやな。」くらいで終わることも、できる。それでも悪くはないかもしれない。

でも、私は、「聞いた人間の責任」って、あるんじゃないかなと思うんですよね。
道で倒れてる人を見た時に、介抱する法的責任はないけど、何もせずに素通りするのは、やっぱり人としてどうなん、という道義的責任。

青い空を手渡された私たちは、また次の世代に手渡していかないといけない。
青い空は当たり前じゃなくて、取り戻すための努力があった、という事実と一緒に。

昨日、西淀川子どもセンターの15周年シンポジウムで、ゲストで来ていた社会活動家の湯浅誠さんが「SDGsって、いい先祖になろうってことです」と言っていたんです。
要は、「あの時、ご先祖様ががんばってくれたから、今の自分があるんだな」と、後世の人たちに思ってもらえるか、ということ。

そういうことだよね。(雑なまとめだけど。)

話を戻すと、何のために公害を学ぶのかって言われたら、この繰り返したくない経験を語り継ぐためだと思うんです。
トートロジー(同義反復)に聞こえるかもしれないけど、語り継ぐべきことが、人間にはあると思うんです。

さてこの後、ゼミでは撮影した動画を編集して、作品にしていきます。
その過程で、聞いた人間の責任をどうはたすか、きっと悩んでくれると期待しています。
私も一緒に、考えよう。

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