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理想と現実のギャップを広げるばかりで結果、自爆してしまう私について

 夢ならまだいい。それはきっと願望であり、個人的な範疇のことが多いだろう。ただ、理想はどうだろう。それも、広範囲にわたる多人数に対する「べき」つまり、当然・義務の発想だ。そんなことを一人で思い描いていたって何も変わりゃしないのに、まるで神のお告げのごとく舞い降りてくるビジョンに酔い、それが成される希望が微塵も無い現実に打ちひしがれてしまうのだ。何度も何度も、いつでもどこでもそれを繰り返してきた人生だ。

 その中の一つが、生まれ育った地、北海道に対してだ。

 ここ数日、関東で積雪があったことによる被害、影響についてメディアでは伝えられている。そんな時、雪国出身の人は「どうだ、私たちの苦労がわかったか」「こんなのなんてことないじゃん」といった、ここぞと言わんばかりに内心マウントを取っている(ことだろう)。私は「埼玉県で4人が転倒怪我」なんていうスーパーがテレビ画面に出た時は、失礼ながら笑ってしまった。おっさんが宙を舞うのは、冬のススキノでは日常茶飯事である。

 まず、そんな心理に陥ってしまっているところから気が付いて欲しい。雪国の人々は、「中央のやり方」言い換えれば、セントラルスタンダードに屈して従って生きているのだと。お察しの通り、そんなの当たり前じゃんという人が多ければ多いほど、私は絶望するのである。

 日本という国家の領土である日本列島は絶妙な位置と長さで南北に伸びている。北と南では気候が違い、特に積雪がある地域では、一年の半分が雪に影響された暮らしと言っても過言ではない。その中でも特異なのが北海道という島であり、他の雪国とは倭人文化の濃さが違い、アイヌの地であったことから複雑な有り様となっている。

 中締め的にここで申し上げると、私が掲げてしまう理想とは、「北海道が北海道たる北海道という地に根ざした文化と暮らしの実現」であり、「中央のやり方に沿った街づくりを変えられず、疑問も持たず、ただそれを続ける事しか出来ない人々ばかり」という現実に勝手に嘆いてしまうということだ。

 北海道独立というと既得権益、軍事力云々などトゲが立ってしまうので、道州制と言葉を置き換えてそれを主張する方々はいるようだけども、それはあくまで外枠の仕組みであり、暮らしのデザインをどこまで考えているのかは未知数だ。

 私が兎に角、声を大にして提唱したいのは、半年間寒さと雪に覆われてしまうこの自然環境に逆らわず、むしろそれに沿って有効活用するライフスタイルとカルチャーによって暮らしていくべきだということだ。

 始まりは、除雪排雪に追われる。大金を注ぎ込む。というところから。

 当たり前のように地面から建物が並び、アスファルトの道路が整備され、自動車が走っている。それはなんでだろう。雪の無い世界でそうしているからだ。そこが基準となる。雪が降り、除雪のための人とマシンが夜な夜な動き回り、雪が溶けるとアスファルトの面がボコボコになっていて、雪が降らない間はそのボコボコを補修する。酷いのは、雪が降る直前までそれをやっている。またすぐボコボコになるのにだ。

 人類の英智は何のために研鑽を積んできているのだろうか。

 確かに、これまでの世の流れ的にはそれで良かったのかもしれない。しかしながら、もう10数年前から気づいてもいいのではないだろうか。雪かきという本来、本質的には必要ない作業を強いられていることに、どれだけの労力と時間と金を費やすのだろうか。

 こうして、私は今日も理想と現実のギャップに悩まされるのです。

 続きは、サークルで。

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