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やっぱり僕はナスを嫌いになんてなれない

ナス、それはみずみずしさのおかげで体を冷やす効果を持ち、多くの日本人に受け入れられている夏野菜。先日の僕が参加したBBQでは、このナスが網の端で取り残され、皆でじゃんけんをして負けた人が食べるという、罰ゲームのような存在になってしまった。

僕はじゃんけんで勝ち、このナスを食べなかった。満腹だったから、仕方なくじゃんけんに参加したのだし、もし少しでも余力があれば、喜んでナスを食べていたはずだ。そうやって、僕は頭の中で食べない理由を正当化したが、どこかに安堵している自分がいた気がする。

これはナスからしたら非常に腹立たしい話だろう。僕、そしてBBQのメンバーはナスに対して配慮が足りなかったのではないだろうか。「うわ、ナスうまそう。焼けすぎて皮と果肉の色が同化してるけど、香ばしくていける。」くらいの声をかけ、もっとナスに対して親切にできたはすだ。可哀そうなナス。

今回の投稿では、ナスから許しをもうらうため、ナスのすばらしさについて語らせてほしい。

ナスはゲームとして大活躍

飲みの席のゲームの一つに「ほうれん草ゲーム」がある。二本のほうれん草を持ってきた人が周りの人にそれを「出荷」し、「ホウレンソウ、ホウレンソウ。」の掛け声をかけて、「出荷」の連鎖を続けていくゲームだ。ほうれん草を回していくだけで、このゲームはそれなりに楽しめるのだが、回す野菜をほうれん草ではなくナスにすると、さらに楽しめる。

なぜかというと、「ホウレンソウ」という単語は6文字なので、掛け声が長くなり、人から人へ出荷するのに少し時間がかかってしまうが、「ナス」は2文字と短く、周りの人への「出荷」が容易にできる。つまり、「ホウレンソウ、ホウレンソウ。」とゲームを進めるよりも、「ナス、ナス。」と続けた方が、ゲームがリズミカルに流れるのである。これだとゲームのテンポが速くなり、もう自分の番が来るかもしれない、という気持ちになって焦りが生まれる。スリルが増して、これはなかなか面白い。さすがです、ナス様。

ナスのエピソード

僕が働いている居酒屋にナス好きのお客さんがいる。正確には、ナス好きというよりも「ナスの揚げ浸し」という料理が好きなお客さんだ。このお客さん、うちの店の「ナスの揚げ浸し」のことをとにかく美味しいと褒めちぎってくれる。「いや、うまいっす。このナス最高っす。」というように。そのお客さんは一回のご来店で、最低でも4、5品の「ナスの揚げ浸し」を注文する。この人の活躍のおかげで、この前は店のナスが完全になくなってしまった。

そしてこのお客さんの最後の捨て台詞はこうだ。

「ナスは無限に食べられるんで。」 お客さん

これはかっこいい。この人にとってウチの店のナスは文字通り別腹なのか。もはや満腹でもタピオカが飲める女子高生みたいだと思ったとき、負けず嫌いの店長に火がついてしまった。

「もし予約してくれたら、その時はナスを欠品させないんで。」店長

このセリフの後、お客さんは翌日に予約を入れた。彼は店長に喧嘩を売られたら買うタイプの人間だったらしい。店内で「明日はまじでこの店のナスは枯渇させるんで。」とお客さんが言い、「いやいや、さすがに予約してもらって品切れにするわけにはいかないです。」と店長が答える。戦いは翌日へと持ち越しになった。

そして迎えた決戦日(翌日)。日が沈み、街全体が電気の明かりで照らされ始めたころ、ナス好きのお客さんは現れた。スタッフはお客さんを快く迎え入れ、席へとご案内する。

「ナスの揚げ浸しをください。」

入店してすぐにナスを注文してくるあたりがさすがである。

「お待たせいたしました。ナスの揚げ浸しでございます。」

初めの方は、僕らはそうやって丁寧に「ナスの揚げ浸し」を配膳していた。

後半はもう、「はい。ナスでございます。」とメニューの名前を言うことを忘れ、ただナスを渡すことだけに集中する。いかにナスをスムーズに渡せるかが重要で、「ナスの揚げ浸し」という名前はもはやどうでもよくなっていった。

店長の意地のせいか、ナスは無限に出てくる。お客さんにも意地があるので、今の段階ではナスを無限に流し込めそうだ。

1時間ほど流し込んだところで、ついにナスを提供するお皿がなくなった。なんということだ。「ナスの揚げ浸し」は漬物や焼き魚の皿へとお皿の形を変え、それでも彼のもとへ運ばれる。そう、すべてはお客様に万足してもらいたいという気持ちを込めて。

それから30分ほどたったところで、お客さんが涙の声を上げた。

「参りました。お会計でお願いします。」

終わった。ナスの戦いがついに終わったのだ。発注から仕込み、それから配膳と、ナスをお届けするために奮闘した我々の勝利である。皆よく頑張ったと思う。

また、僕はナスをひたすら食べ続けたお客さんも称えたい。店側が本気を出したのに、向こうは胃袋だけで健気に戦ったのだから。フードファイトはスポーツだという人がいるくらいだし、ここはスポーツマンシップに則ってどちらも認めてあげたいところだ。

なぜかって?

お会計が可哀そうだからだ。まさかのお会計の半分がナスという事態。

あれからお客さんは来店していないが、彼はその後ナスを食べたのだろうか。食べすぎのせいで嗜好が変わらないことを願うばかりである。

ナスは人と人を結びつける役割を持っているが、破滅には注意したい。でも、これだから僕はナスを嫌いになれないのだと思う。やはりナスは憎めないやつだ。


これからの可能性に賭けてくださいますと幸いです。