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漠然とした有能感

自己分析を深める問い1,000問

今年の1月に風邪を引いて寝込んでいたとき、Amazonアンリミテッドに登録された「メモの魔力」を読んだ。話題書だったから手にとってみた程度の軽いものだった。

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book) 前田 裕二 https://www.amazon.co.jp/dp/4344034082/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_xwWDEbRVJEEV6

この本の中に自己分析を深めるための問い1,000問が末尾に記されている。仕事や勉強に対する問い、趣味に対する問い、家族に対する問いなど、本当に多様な問いが含まれている。この問いに対してiPhoneのメモ機能を使って通勤時間や休日に回答してきた。コツコツやってきた。自己分析をするのは就職活動以来だ。

結論とすれば、私の強みや弱み、やりたいこと、得意な仕事、苦手な仕事、おもしろいと思うこと、大切にしたい価値観など、本当に多くのことを知ることができた。たまたま手にとった本であるが読んで良かった。社会人経験を振り返るのにとても良かった。振り返りをしている時、鳥肌が立つような気づきもあった。

「漠然とした有能感」という着想

自己分析をしている中で、私自身はずっと「漠然とした有能感」を持っていたのではないか、という着想を得た。漠然とした有能感とは「私自身が私自身を何者であるかのように捉え、根拠はないけれど何事も成し遂げられるという感覚」である。

これは過去を振り返ったときに一貫してあった。
例えば、高校生のとき、私が好きだった洋楽は他の邦楽よりも素晴らしいと思っていた。大学においては、私のファッションはカッコ良くて非凡と思っていた。中二病や自意識過剰と呼ぶのかもしれない。
社会人になれば、仕事で私自身が否定されたり批判されると、素直に向き合うことができず否定したり批判する人が間違っていると強く反発心が生まれていた。また、同僚に優秀な人が入ってきてもどこかで私の方が優れているというような感覚があった。いずれも無意識的なものだけれど。

さらに、漠然とした有能感があるがゆえに、私自身が取り組む日々の行動にも歪みが生じていた。例えば資格試験の勉強だ。まず、漠然とした有能感があるから果敢に難関資格にチャレンジしようと意気込む。そして、漠然とした有能感があってなんとなく勉強すれば合格できるだろうという感覚を抱き、感覚的に勉強方法を立て非合理的な勉強をする。しかしこの勉強法ではとても合格にたどり着けない。このように、漠然とした有能感は日々の行動の合理性を損わせる。

これは私に限った話ではなく、他の方にも当てはまるのかもしれない。そしてこのことはすでに社会心理学などで理論化されているのかもしれない。

為末大さんの言葉

このように振り返ると何とも恥ずかしかった。自分自身は漠然とした有能感を持っているもののその自意識に見合う力を持っていない。新入社員の頃、上司の指摘を素直に聞かなかったことを思った。同僚の強みから学び自己を改善する機会とすべきだった。

そんな中、ふと為末大さんが同じようなことを語っておられたことを思い出した。そしてググると次のような言葉を述べられていた。

若い頃って、誰もが「何でもできる気がする」というある種の全能感を抱いていると思うんですけど、それはなるべく早く打ち破られるべきなんです。「思い通りにならない」っていうことを体験しないと、人間、工夫をしないんですよ。その「思い通りにならない」中で、どのように自分のやりたい方向にもっていくか、モチベーションを維持させるかを考えることで、自分をより高みへと導いてくれるんですよね。
だから、「思い通りにならない」ことを身をもって知るというのは、幸せになるために必要な一要素だと思うんですよね。

仕事においては、立場も上がり思い通りにならないような感覚はある。ステージが変わる感覚だ。そこでまた漠然とした有能感をもち「私なら何とか乗り越えられる」と思うではない。あくまでも行動面では合理的に考えてアクションをとるべきだ。為末さんのように「工夫をすべき」だと思った。

まだ自己分析の問いは少し残っている。このほかにも多くの気づきがあった。もう少し進めようと思う。




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