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父へ、10年越しの弔辞

素敵な弔辞を読んだ。ユーモアと切なさが調和している愛のこもった文章だった。
触発されて、ずっとnoteの下書きに留めていた父への言葉をこれに真似て書かせてもらおうとおもう。

10年前、子どもだったわたしは、火葬されていく父を、ただ空っぽの気持ちで見送った。
葬儀の準備などは全て母がやってくれた。父が死んだことに現実味がなかった。実際、棺桶に入った死んだ父を見ても、ちょっと似てる誰かなのでは?と思ってしまうほどで、焼かれて灰と骨になった父を見ても、何も感じなかった。ただ葬儀場で遺体を焼いた後は、独特の臭いがしたことを覚えている。

10年間、あの瞬間を空っぽな気持ちで過ごしたことが本当に良かったのか、悩んでいたように思う。子供だからと、守られたことに、どこか罪悪感を感じていた。

本当は、10年前に、わたしから父に、さようならをいう時間が欲しかったのだろうと、今となって思う。
こうして時が経ってようやく、父との別れについて書きたいと思うようになった。

これはわたしからの(大変遅くなってしまったが)10年前に死んだ父への弔辞だ。


父よ
今年の命日をもって故人としての付き合いのが長くなったらしい。随分と今更かもだが、少年だった私のやり遺しとしての弔辞を送らせてもらう。

父よ
亡くなったのが海の日だった父よ
ダイビングが好きだった父らしいと、母は泣きながら笑っていたことを思い出す。
水中写真のコンペでウツボの写真が入賞したことを、少しだけ自慢げに語ったあの時、
わたしもダイビングをすると決めた。
家族で潜る日が来たら、またあなたを思い出すだろう。

父よ
特製のチャーハンが異様においしかった父よ。
母が作るより正直、数倍美味くて、そこから10年間、母のチャーハンを食べる時を困らせたことを知らないだろう。
未だにあのうまいチャーハンが再現できない。
味の秘訣が聞けないのが心残りだ。

父よ
爬虫類と熱帯魚が大好きだった父よ。
図鑑を3歳から読み聞かせてくれたおかげで、
語彙の8割がコアな魚と爬虫類の名前で埋め尽くされることとなった。
水族館でテンションが上がるたび、
あなたがいない事を少し寂しく思う。

父よ。
正直、生きていくのが辛い。
あなたと過ごせた10数年は
もう随分と忘れられてしまった。
思い出せることは、とても少ない。
わたしが生きれば生きるほど、
10数年で知れてなかったことが知りたくなる。
話してみたかったことが増える。
そんなことの繰り返しらしい。

父よ。

父よ。それでもわたしは、
このさみしさを受け入れていこうと思う。
今後もどんどん忘れていくだろう。
でも無くなるわけではないと思うのだ。
10年経っても20年経っても
あなたが、わたしのルーツだ。


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