理想の田舎暮らし実践考察 その5

「都市は、いかにして構築されていった(そして、いる)のか?」

田舎生活を考える上で、その問いは避けて通れない。

結論から言えば、それは「経済的合理性や生活の利便性向上のための生態学的選択である」と言える。

つまり、「物質的に豊かな生活」を追求するのであれば、社会機能を集約した都市が好ましい、ということだ。

田舎生活の復権を唱えるのであれば、どうしてもこの「物質的豊かさ」に置き換わる新たな価値を見出さねばならない。

でなければ、「都市より田舎の方が住みやすい」という話にならないからだ。

『田舎生活をすれば、心が豊かになる』

その側面は確かにある。

が、所得や利便性の低さは、クオリティオブライフ(生活の質)を低減させ、結果、人の内面性を荒ませてしまう。

「やっぱ都会の方が仕事多いし、給料高いし、人も娯楽も店も多いから便利で楽しい」

それでは結局、「都会の方が心豊かに暮らせるよね?」となってしまう。

『田舎に来て、何をするのか? その「何か」は本当にそこでしかできないことなのか?』

やはり、そこを具体的かつ実践的に問わねばならない。

そこで私が最近考えているのが「何もしようとしない」ということ。

つまり、「何もしない」をする。

都会生活は、何かしらの目的を持った人間が集う場所だ。

仕事のため、学業のため、誰かと会うため、何かを手に入れるため…

そこにいれば誰しもが「何かをすること」を強いられる。何もしなければ、高い生活費に見合うだけの生活が成り立たないからだ。

しかし、それはある意味、人を心身ともに疲れさせてしまう。

「堂々と何もしない」「何もしない自分を肯定する」「何もしないことに意味や価値を見出す」

今、考えているのはそういう「田舎生活」だ。

何もしない人間同士が、無目的に何もすることなくそこにいられる場を創る。

そして、それが「何かをすること」よりも遥かに貴重な体験であることに気づいてもらう。

そういう「思想」を、まず田舎生活の根幹に据える必要があると感じている。

『田舎で心の洗濯を』

現代社会における新たな生き方を今後さらに模索していきたい。

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