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㉖私はもう「不妊治療中」じゃない(燃え尽き症候群)

凍結胚移植から7日後の判定日。

沖縄から通っていたので、不妊治療クリニック(加藤レディースクリニック)での血液検査ではなく、自宅での尿検査での判定でした。


前の記事はこちら。

加藤レディースクリニックの検査薬でうっすらとラインが出ました。


薄いラインじゃダメなんだと…

今となっては分かるんですが、その時はとりあえず

”着床”

したことには間違いないんだ・・・と思って、焦る気持ちを抑え、いつも通りに…と平穏を装って過ごしていました。


今回は、上の子が小学校に上がる直前の春休みに移植したので、実は、KLCの指定した尿検査をする判定日の翌日は1番上の子供の入学式でした。

検査薬ももうないので(もう買わないと決めて)県立病院を予約したものの、早すぎても何もできないとのことで、予約の日まであと数日ありました。

今日にでもとりあえず受診したいとも思いましたが、その気持ちを抑えて、一番上の子供の入学式を迎えました。

入学式なので式の間ずっと立ちっぱなし。

各教室に集まってもしばらくは参観で立ちっぱなしでやっとやっと保護者への説明の時間に着席することができたのですが、なんだかどっと疲れて、腰も痛くて、暑いのにスーツで暑いな~貧血っぽいな~と、諸々が終わり思って立ち上がった瞬間…



あの感覚・・・



あっ。出血した。とわかりました。

ちなみに、基礎体温は、体外受精にふみきる前はきちんときちんとつけていましたが、それ以降は怖くてあまり測れずにいたので測ってはいませんでした。

(測っていたら色々とわかったこともあったと思うのですが)

検査薬ではうっすら出たし大丈夫。大丈夫大丈夫と呪文のように唱えて、着床出血かもしれないし!とか、あーだこーだ色々考えてたら、思い出しました。


あっこれは不妊治療をする前の10年前の私じゃん…。


毎月毎月味わってたこの気持ち・・・


ダメだっただとわかっているのに、認めたくない気持ち。

検索魔になり、検索に検索を重ねて、着床出血時期とか、低温期でも妊娠とか…出血からの妊娠出産したブログを探したり…

気が付けば、10年前の私に戻っていました。毎月この気持ち味わってたなあと。


スーツも着ていたので心配もあったし、覚悟を決めてトイレに行くと、やはり出血をしていました。


こんなことは何度も何度も繰り返してきたので、あーーまた0からかと、今までなら思うところなのですが、


この時、あっ・・・全て終わったんだ…。


と、ふと、我に返りました。

今回は3人目の為の凍結胚盤胞移植。

私の年齢は40歳。

凍結胚もないので、もう採卵から始めることはありません。

今までの苦しい気持ちも。

子供ができた友達をうらやむ気持ちも。

毎月ドキドキして過ごす気持ちも。

色々なことを我慢する気持ちも。

全部全部、これで終わり。

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沖縄は特に多いのですが、「バスレーン」で知っていますか?

普通の車線の横にある、

【バス専用】と地面に書いてある道路のことなのですが、なんていうか、不妊治療中は、【不妊治療中】って地面に書いてある道路をずっと歩いてきた気がするんです。


となりには普通の道があって。

一見同じような広さで

同じ方向に向かって、

同じ景色を見て、

同じ速度で走っているように見えるけど、

そこには大きな差がある。


私は特に1人目を授かるまでの間は、

今となっては色々と反省しているけど、365日、24時間、

「赤ちゃんを授かりたい」という気持ちに支配されてしまっていました。


そんな気持ちもこのブログに思い出して

綴ってきましたが、本当にこの時、初めて、あーーー私はこれからは、

普通道路を走るだなあ・・・と思ったんです。


大げさに思うかもしれないけど、自分の力ではどうにもできなくて、模索して模索して、その都度自分で選択して、決断して、体外受精に踏み切って夫と歩んで来た12年間。


それが「全て」だった時期を経て、「片隅」にいつもそれがある時期を経て。

これからは何も書いてない道路を走るんだな。

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間違いなく「生理」だなという出血をしていましたが、もちろん病院にも行きました。


特に血液検査ではなく、尿検査と内診だったのですが、とても素敵な女性の先生で、寄り添って話を聞いてくれました。


「検査薬が少しでも反応したのなら、着床しかけたのかもしれないですね。でも結果的には今現在は妊娠はしていないと思います。」

という先生の見解でしたが、

「生理じゃない可能性はありませんか?まだ手元にデュファストンが残っているんですが」

と聞くと、

(先生はもうこれは生理だと、可能性は0だと多分わかっていたと思うけど)

飲み切るまで飲んでも大丈夫ですよ。と言ってくれました。


東京まで通って体外受精で二人授かったことも、労わってくれました。


帰り道、

走馬灯のように、今までの出来事が思い浮かびました。



本当に色々あった。

長かった。

でも二人の子供を授かることが出来た。

私も頑張った。

主人も頑張った。

みんな協力してくれた。


今回、3人目の凍結胚移植の時期を決めるときに、焦って焦って今しかない!と決めて、甲状腺の数値もクリアになっていないのに、無理に進めたのは私自身。


私自身が招いた結果。


年齢的にもだめかもしれないこともわかっていたけど、涙がとまらず。しばらくの間、気が付くと涙がポロポロと出てくる日々が続きました。


でも、二人の子供を授かることが出来て。幸せで。

これ以上何を望むのか・・・


と思えば思う程流れる涙。

後悔なのか、懺悔なのか、色々なことにやる気も出ない日々が続きました。

仕事よりも何よりも優先にこの12年間動いて来たので、もしかしたら、燃え尽き症候群だったのかもしれません。


でも、これで終わりじゃなかったんです。

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     これからが私の奇跡の始まりです。

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28歳 結婚を機に東京から沖縄へ

30歳 妊活スタート

    初めてのクリニック

    基本検査

    タイミング 4カ月

    人工授精 3ヶ月

    身体中に蕁麻疹

    大きい病院でMRI検査 

    両側に卵巣膿腫が見つかる

31歳 東京の病院で開腹手術

     沖縄に戻り経過観察

     無事生理再開

     排卵を確認

     病院に通わず妊活を再スタート

32歳 約1年排卵日チェッカーでの妊活をするもできず

     体外受精に踏み切る決断をする

     加藤レディースクリニック初診

     新鮮胚での移植が決まる

     自然周期で1つ採卵

     受精確認

     分割新鮮胚移植

     結果は陰性

     2回目の採卵

     結果は空砲

33歳  3回目の採卵

2個採卵→胚盤胞に 

     胚盤胞移植

     陽性判定(hcg89)

     KLC卒業 

     沖縄の病院で胎嚢・心拍確認

34歳  第1子出産

     ~胚盤胞1個 凍結中~

36歳  第2子目指し妊活スタート

     子宮ポリープ見つかる

     子宮ポリープ剥離手術

     凍結胚移植

37歳  結果は陰性

     採卵からスタート 

     2個採卵→2個胚盤胞に

     移植周期スタート

     子宮ポリープ再発 

     子宮ポリープ手術

     凍結胚盤胞移植

     陽性判定

38歳 第2子出産

    ~胚盤胞1個凍結中~

40歳 移植周期スタート

    甲状腺数値、再検査

    凍結胚盤胞移植

    尿検査で陽性?

    リセット ←リアルタイムではないですが今ここ

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