ひとりカラオケ

自分は、たまに、ひとりカラオケに行く。昔はひとりカラオケなんぞ能無しの腑抜けがやるものと思っていた。大体、歌というものは、いつ何時どこにいても、歌いたいときに歌うことが出来るもので、金を払って歌を歌うという行為自体が、そもそも馬鹿馬鹿しい。それに仲間内でもなくひとりでわざわざカラオケへ行って、思考停止の猿じゃあるまいし、人間の所業ではない、と思っていた。しかし友人いわく、ひとりカラオケは最高だ、恥ずかしがらずに、行ってみれば分かる。そこまで言うなら一度行ってやってもいい、が、やはり恥ずかしくはないか、店員に思考停止の猿だとは、思われないか。すると友人は、カラオケ店で働いている奴なんぞ思考停止の鰯みたいな奴ばかりだから、誰もお前のことを思考停止の猿だとは思わない、と言う。躊躇していた自分だったが、勇気を出して一度行ってみた。

楽しかった。幸せな時間だった。こんなに良いものは無い。珈琲が飲めて煙草が吸えて歌が歌えて、しかも、ひとりだ。何も気にすることは無い。誰かと行くと、何となく今は明るい歌を歌うべきだとか、皆が知っている歌を歌うべきだとか、雰囲気を読んで暗黙のルールを気にしてしまうこともあるが、ひとりカラオケでは、心配ご無用、好きな歌を好きなだけ歌えば良い。カラオケ店には大体ワイファイもあるので、インターネットをすることも出来る。それだけ充実していて、平日の昼間ならば一時間300円そこらで済む。それからというもの、少しの暇が出来るたびに自分は、吸い込まれるようにカラオケ店へ行くようになった。

先日。この日は何となく、バラードな気分だった。世の中を憂いつつ、バラードに身を任せようと思った。個室に入り、珈琲で一服。デンモクを漁りつつ、まずは河島英五の「時代おくれ」を一発決めた。もうひとつ一服。「遠くで汽笛を聞きながら」を歌う。バラードな気分に酔いしれる。それから「涙のアベニュー」「世界中の人に自慢したいよ」と、何曲かバラードを歌い、しかし、フォーク・クルセダースの「悲しくてやりきれない」を歌ったあたりで、悲しくてやりきれない気持ちになった。画面では、芋みたいな顔のガールズバンドが新曲を宣伝している。それを自分は茄子みたいな顔で眺めていた。

一服。ちょっと明るめにチェンジしていこか。「林檎殺人事件」、「待ちぼうけ」、「100ミリちょっとの」、「Baby # 1」を歌ったあたりで、残り10分の合図。昔はフロントからの電話で、あと10分ですが延長しますか?え?はい?ちょっと聴こえません、なんてやり取りがあったが、今は画面で知らせてくれる。自分は最後に「勇気100%」を熱唱して、イェーーーイと絶叫して、300円そこらを払って、清々しく夕暮れの街に飛び出た。そして、思考を再開した。悲しくてやりきれないことなど無かった。

何もいりません。舞台に来てください。