放送禁止

先日、先輩に誘われてライヴに出演したのだが、そのライヴのコンセプトは、放送禁止の強烈にヤバいネタを各々が演るというもので、そんな下劣なライヴを果たして誰が見に来るのかと思ったのだが、聞くとチケットは即日完売したというから不思議なものである。

放送禁止用語といえば、キチガイオマンコ乞食など、多々存在するようだが、そうした言葉を使ったネタを演るのも安易なので、我々はあくまで言葉は放送に乗せられるものにしようと思った。問題は内容である。こちらも安易な下ネタに走るのは興醒めと思われた。そもそも、エロ・グロというジャンルは、たとえば丸尾末広の漫画の世界のような、吐瀉物を舐めたり、口に脱糞したり、陰茎を切り落としたり、内臓にネズミを詰め込んだり、といった変態的行為から来る不快感と天然の美しさであり、この国では昔から、多くの変態たちによりそうしたエロスとグロテスクが追求されてきた。安易にエロ・グロに手を出すと、ただの不快感でしかなく、真のエロ・グロは、常に天然ものでなければならない。放送禁止というと、あとは、政治・宗教・天皇・洗脳・人種差別・障害者・犯罪・オカルト、といったジャンル。いわゆる世間のタブーに触れるようなもので、こちらも安易に触れると単なる痛々しいものにしかならない。

さて、その辺りを踏まえた上で、どんな漫才をしようかと考えた。というか、そもそも放送出来ないようなネタが、果たして我々に出来るのだろうか。正統派しゃべくり漫才師として、自負している我々である。いとしこいし師匠の「ぼく・きみ」漫才を参考にしている我々が、「エロ・グロ」漫才など、出来ないのではないか。心配になって、今まで自分が作ってきた漫才のネタを、ひとつずつ思い返した。すると驚いたことに、放送出来ないネタだらけなのである。

話の中に、ゲイやオカマは出てくるし、陰茎やオマンコは勿論、宗教や部落や黒人や乞食も出てくる。内容においても、人肉を食べたり、眼球をくり抜いたり、幼女で勃起したり、と、やりたい放題である。自分は愕然とした。今までの漫才師人生を恥じた。そんなことばかり思い付いては、ふぇっふぇっふぇ、オモロイの出来たなァ、なんて笑っていたのだ。情けない。

結局、我々は10年ほど前に作った阿呆なネタを演り、ライヴも無事に終わった。内容については口外禁止ということなので、一切書かないが、お客さんも盛り上がっていて、素敵な夜だった。

何もいりません。舞台に来てください。