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【MeStory】退職決断~退職辞令交付式までの軌跡

2024年3月31日をもって、公立小学校の教員を退職しました。
この決断に至るまでさまざまな葛藤がありました。
「辞めたいけど、辞められない」という無限ループに陥ったこと、数年。
一番苦しかったのは
「辞める」と自分の中で決断してから、校長に伝えるまでの期間。
自分の中では決断しているものの、物理的な理由(引っ越しや体調不良など)ではないので、管理職への伝え方に非常に悩みました。
なんと言えば納得してもらえるだろうか
どんな理由だったらとめられないだろうか
どんな言い方だったら角が立たないだろうか

そんな答えのでない悩みで、2か月ほどぐるぐる頭をいっぱいにさせていました。
辞めた後の生活を想像し、現実とのギャップに苦しむ出勤時間。
本当は早めに相談するべきだったのでしょうが、ぎりぎりまで言いにいけないのが私の悪い所。「今日は忙しそうだし、明日でいいか」を何日くり返したか分かりません。
結局校長に伝えたのは、「退職希望受付締め切り」を1日過ぎた日でした。


11月 校長に意向を示す


うまく伝えられるかわからなかったので、「退職意向届」として書面も用意。
封筒に入れて校長室へ行きました。

伝える直前から感極まって泣いてしまい、校長もびっくり
「何かあったの?」と聞かれるままに
「今年度をもって仕事を辞めたいです」とついに口にしました。
ここからは、穏便に退職するために脚色を加えた退職理由を述べることになります。
脚色することが「いけないこと」と考える人にとっては、事実以外を述べている私の対応に誠意を感じないと批判する人もいるかもしれません。
でも、当時の私は「辞める」ことに大きな罪悪感をもっており、
「辞めざるを得ない」理由がないと決断できなかったのです。

夫の仕事が忙しくなって、子育てを一人で担わなくてはいけない。それを考えたときに今までのように働いていたら子どもの送迎や家事に手が回らなくなってしまうと判断した。

というような理由を校長に話しました。

どういう反応が返ってくるか、ドキドキして、苦しくてたまりませんでした。
校長にとっては予想外の話だったはずです。

校長は「家族が大切なのは当り前。旦那さんがその判断を一緒にして、二人でその決断に満足しているならそうすればいい」というようなことを言っていただきました。
よくよく考えたら、辞めたいという職員に対して管理職が止めるなんてこと、そうそうないですよね。
校長は未婚の女性の方で、「あぁ、私も養ってくれる人がいたら、この職いつだって辞めてたわよ」なんて冗談めかして言っていました。いや、本心なのかもしれないけれど。

その日は校長室でひとしきり泣きながら話して、了承されて、すっきりして修了。
言ってみると、想像よりすんなりでした。なにをそんなに恐れていたのか、というほど。
これで私が年度末で退職することが決定しました。一安心。
ちなみに意向届は渡すことも見せることもありませんでした。

しかし後日。
校長室に呼ばれて、「あの時は退職を了承したけれど」と切り出されました。
急に暗雲がたちこめます。
「はい・・・」と恐る恐る次の言葉を待ちます。
「子育てが理由で退職するということだったけど、今の働き方だと送迎の時刻に間に合わないということだったわね。正規教員の働き方として”部分休業をとる”という制度がある。出勤か退勤を一時間短縮させることができる。業務内容的に担任で続けることが辛いというなら教科専科や通級指導教室にすることもできる。一時のことならばそのような制度を利用して、なんとか続けてみるのはどうか」
という提案がされました。
退職を伝えに言った時はすんなりだったのに。
あれから校長も考えたのだろうか。
そういってもらえることはありがたいような気もしたけれど、私の(伝えてはいないけど)本当の退職理由は「生き方改革をしたい」というもの。
自宅で稼ぐ
夢を追いかける
自由に生きる
それらを考えたときに「公務員」「教員」という前提を変えないと生き方を改革することはできないとわかっています。
だから、その申し出は丁重にお断りしました。
断るって難しい。なんでも「はい、やります」って言ってきた人間だったので、なかなかハードでした。
でも、もう決めているから。「すみません、やりません」と伝えました。

そこから引き止められることはなく、たまに校長に呼ばれては退職手続きのために署名したり、資料を受け取ったりしました。

 1月 住んでいる市の非常勤講師登録


年が明けてから、住んでいる地域の非常勤講師への登録を済ませました。
私の場合、住んでいる地域と勤務している地域は違います。
住んでいる地域の教育委員会ホームページを検索し、登録方法を調べました。
メールで登録説明会への参加日時を送信し、その当日に指定された場所に、必要書類を持っていきました。
説明会は教育委員会の人事課の方と1対1で手続きをしていただきました。
10分ほどです。
その時に「希望する勤務条件」を聞かれたので、
できる限り自分本位な条件を伝えてきました。
「なんでもやります」というスタンスだったら意味がないと感じたので。それで問い合わせがなければその時考えよう、くらいの気持ちでした。

・週15時間以内
・週3・4日勤務
・教科指導
・支援級は希望しない(未経験のため)
・自宅から自転車で30分以内

教員のなり手不足がどこまでなのか、楽しみでさえありました。
いい条件の学校があれば電話で打診します、という説明を受けて終了。

事務手続き


勤務校では退職の手続きがちらほら課せられました。
言われた書類に目を通して、署名を書く。口座番号を書く。退職後の保険を選ぶ。など。
そのあたりからは事務の先生が対応してくださいました。
事務の先生は年明けすぐに私の退職を校長から聞かされたとのことでした。
「びっくりしました」という一言はいただきましたが、とても好意的で、さすが多くの先生の任用や給料を見てきただけあるな、と感心してしまいました。

2月 非常勤講師登録先から採用の連絡→裁量権はこちらにあり


夕方ごろに登録地域の教育委員会から電話が来ました。
採用条件の確認電話です。
1校目は
自宅から30分程
音楽専科
週27時間

というものでした。

職に困っている状態なら引き受けたかもしれませんが、今回は「勤務時間を短くしてスキルアップの時間を確保する」ことが最大のポイントだったので、27時間というのはいただけません。
そのことを伝えてお断りしました。
私は15時間以内でないと働かないです!くらいの覚悟でいってみようと。

2週間ほどして2校目の連絡が。
自宅から自転車で20分ほど
週14時間
指導内容は勤務校の校長が決めるもので、今のところは決まっていない。
校長面接時に希望を伝えることができる

というものでした。

これ以上ない条件だと確信しました。
短時間の希望や、指導内容に裁量権があることも、自転車で20分も気に入り、その場で了承。
詳細やこの後の流れはまた電話で伝えると言われてこの日の電話は終わりました。

無事に4月からの働き口が確保されたことになります。

3月 立つ鳥跡を濁さぬために

 
自分の荷物の処分を始めないといけない頃になりました。
退職を皆に報告するのは3月21日。それから片づけすると辛いのではないかと考えました。
ただ、あまり大々的に机の整理なんかしてしまうと、「どうした?」「もしかして・・・」と感づかれてしまいそうだったので、机は中のみ整理。
教室の荷物はちょこちょこ持ち帰ることにしました。
無印良品のジュートバッグA3 を毎日持参し、そこに入る分だけ毎日持ち帰りました。
本当は処分したいプリントやグッズもありましたが、処分しているところをみられて感づかれるのを恐れ、とにかく一旦持ち帰り、自宅で処分するという方法をとりました。
無駄なことしてるよなぁとも思いましたが、感づけれること&噂になることを何よりも恐れたので、これでよかったです。

3月中旬 事件発生


同じ学年の支援級児童を担任していた先生(同年代)が、放課後2人きりになったタイミングで「私、今年度で退職するんです」と私に伝えてきたのです。
その場で私が報告しないのは後々面倒なことになりそうだったので、「実は私もなんです」と言ってしまいました。
相手の先生はとても驚き、「自分の報告どころじゃない!」と焦るほどでした。
まさかこんな風に報告することになるとは思わず、心の準備もなにもありませんでしたが、むしろ退職仲間ができたことに若干の心強さを感じました。一人きりより、ずっといい。

3月21日 職員に発表


卒業式が終わり、午前授業となった年度末の打ち合わせで、異動者退職者の発表が校長からされました。私の名前も呼ばれ、無事に退職が公の物となりました。
その後すぐに行われた校内研究全体会では、今年度の成果を述べる担当になっていましたが、「今さら私から報告していいものなのか」と変な遠慮心をもってしました。

会議後、先生方に声を掛けられました。
「どうして!」「びっくりだよ」「すごいね」「よく決断できたね」「もったいない」・・・いろんな反応がありましたが、もう揺るがない事実。私も動揺せず笑顔で「そうなんです、ありがとうございます。でも決めたんです」と答えることができました。

3月29日 退職辞令交付式とお別れ会


午前中に市役所にいって退職辞令交付を受けました。蓋をあけてみると私の他に同じ学校からの退職者が3人いました。みなさん同年代の女性で、それぞれ途中でこの決断をするに至る葛藤や経緯があったんだろうな、と思いを巡らせました。
なんとなく「同志」という感覚もあり、発表からの1週間で急激に仲良くなってしまいました。辞める理由はそれぞれでしたが、お互い「お疲れ様」という気持ちでいたはずです。

お昼は全員でお食事会。異動者・退職者が一人ずつ挨拶をしました。

退職が受理されてから4ヶ月間、発表までは本当に校長と事務の先生しか知らないという状況でした。(ひょんなことから伝えてしまった経緯はありましたが)
それとなくやり過ごすことはできましたが、3月上旬、次年度の担任希望調査表が配られ、人事が決まっていく辺りで、「来年の担任希望は?」「●年生じゃない?」などという話題で持ちきりになる時期のみ、笑ってごまかすのがちょっと大変でしたが、それ以外は割と通常通りの4か月を過ごせたと思います。

おわりに

着任して間もなく、残りが長い職員だと思われていたので、行事の放送担当や校内研究担当など、長く引き継いでいく(知っている人が繋いでいかないと困る)ような役割をたくさん与えられていたので、ここで辞めるというのは、同僚の先生方へも申し訳ない思いがこみ上げました。

でも、発表された時点ではもう決定事項になっていたし、皆さんすぐに受け入れてくれ、引き継ぎの話も事務的に行われたので、ほとんどの不安は取り越し苦労だったかな、と思います。

結局自分の人生なので、他の先生がいくら「もったいない」「残念だ」と言ったところで決断できるのは自分です。
決断前に同僚に相談していたらそれらの言葉にきっと迷ってしまったかもしれません。なので、相談せずにここまで来られたのは正解だったかなと、私としては思います。

とにかく、校長にさえ退職の意向を承認してもらえれば、あとは淡々と月日が過ぎていくのみでした。

あの時決断したこと、そして行動したことを、今の私は全力でほめてあげたいです。だって、あの時校長に言えてなかったら今頃また悶々と1年過ごしていたはずだから。

「ありがとう、あの時の私」


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