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祖父の遺影

近所の大型商業施設の中に、写真屋がある。

カメラやアルバム、写真立ての販売、写真のプリントアウト、そして証明写真の撮影までやっているようだ。

証明写真の撮影場所は本屋の前の通路に面しており、証明写真を必要とするであろう年ごろの人達には少々配慮の足りない立地なのではないかと心配になる(案の定、実際に撮影している人を見たことはない)。

そんな閑散とした撮影スペースをよそに、店内に置かれた数台のセルフプリント機はデジカメとプリント機の液晶を交互に見ながら試行錯誤するおじいちゃんや、慣れた手つきでスマホを繋ぎさっさとプリントを終えるおばさんなどが何人も操作をしており、それなりに盛況であった。

かの世界的な疫病が流行り、自由も制限される中で、これだけの人が被写体に向かってカメラを向けているのだ。各々のセルフプリント機の液晶には、犬やら花やら赤ん坊やらが映っている。被写体とは愛の矛先である。映したいものがあるから撮るのだ。学生時代、おしゃれぶって一眼レフを買ったまま、次第に撮ることをやめてしまった理由が何となくわかった気がした。


もう15年近く前になってしまうが、祖父が亡くなったとき、遺影を選んだ。

その時の祖父は老人初級編くらいの年齢ではあったが、初級とはいえ老人ではあったし、もう何年も癌との闘いを繰り返していたから、驚くような死でもなかった。けれども、さすがに遺影は死んでからでないと探せない。そして葬式までは意外と時間がなく、大人たちは大忙しだったので、遺影選びは孫たちの仕事になった。

祖父は「杉並の高倉健」という異名をもち、たぶん自分でもわりにイケてると思っていたのだろう。菓子折りの缶3個分くらいの写真が残っていた。積み上げるとちょっとしたビル街のような量だ。孫たち3人で手分けして写真を見ていく。漁港の波止場に足をかけ遠くの海を眺めている写真、泣かせた孫を指さして爆笑している写真、片手に瓶ビールを抱え手酌している写真。

波止場に足かけるとき全然足上がんなくて一生懸命持ち上げてたよね。

そういえばおじいちゃん、よく孫からかって泣かせてきたよね。

巨人が負けてるときに酔っぱらうとたち悪かったよな~。

っておい。遺影っぽい写真がぜんぜんないじゃないか。


「あ、漢字ですか?え~っとね~、高橋秀樹の秀樹です!」

居間からおじの声がする。電話口で参列者の名簿をつくっているのか、人名をひたすら芸能人に置き換えて話している。

孫たちで口々に「越後製菓ァ!!」と叫び、台所仕事をしていたおばや母が笑いだす。この期間、私たちは時たま泣くが、よく笑ってもいた。寿命を全うした死はなんともさわやかである。

ふと手元を見ると、祖父が初孫のいとこを抱き大笑いしている写真があった。いとこは幼いころからハーフと見紛うような美少年で、腹巻に股引姿、昭和親父の権化のような祖父とのツーショットはなんだかちぐはぐだが、いい笑顔だった。

あまりに笑っているので遺影には似合わないのでは?という不安もあったが、もうビル三棟分くらい写真を見ているのに神妙な顔をしている写真がぜんぜんない。あっても酔っぱらってるかかっこつけすぎているかなので、よく孫たちをからかい遊んでいた祖父へのありったけの愛をこめて、この写真にした。

葬式当日、黒いふちにも菊の花にも全く似合わない大爆笑の祖父がでーんと飾られているのを見て、また笑ってしまった。参列者の中で一番不謹慎な顔をしているのが、遺影の祖父であった。

さて、遺影になったこの写真は、いったい誰が撮ったのだろう。

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