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平成たぬきぽんぽこと、わたしの原風景。

私のふるさとの原風景は、造成地。

そこは、平成たぬきポンポコにでてきそうな場所。

そこは、3つのエリアからなっていた。

旧道沿いのエリア、
10年ほど前にできあがった坂の多いエリア、
緑が生い茂る、小さな峠。

わたしの家は、その二つ目のエリアにあった。
小さな峠を越えて、小学校へいく。

小さな峠は、私が小学校を卒業するまでにほんとうに毎日毎日切り崩された。

ダンプカーが行きかうため、仮設の橋までできた。

切り崩された造成地のうえを、黄色と黒の工事の柵に挟まれた一本道が走る。それが、私たちの通学路。

工事の進捗状況におうじて、登校時と下校時で道の場所が変わる。それは、私たちにとって、当たり前のこと。

兄は昔から無鉄砲な人だ。わたしが保育園児のころから、週末によくその工事の柵を超えて、私を造成地に連れて行った。というより、私が兄のあとを着いて行った。

両親はそのことを知っていたのか知らないが、何も口出ししなかったように思う。

私は、峠をすっぱり斜めに削ってしまった造成地の急斜面を、横向きになり両足で、ずっずっずっと駆け降りるのが好きだった。

スニーカーには、急斜面のねっとりとした粘土質の土がこびりつく。

週明け、保育園の先生のその土がこびりついたスニーカーを誇らしげに見せびらかした。

私は、あの原風景をよく思い出す。

郷愁ともちがう、でも私の原点のような場所。

あの町を離れてから、いくらあの風景について熱く語っても、共感してくれる人は、まだ出会っていない。

あんな風に造成地で遊ぶ同級生もいなかったから、もし同窓会に行ったとしても、みんなにとっては何ともない殺風景な風景なのかもしれない。

私が1年生のとき、兄は6年生だったから、できた遊びだったんだろう。

だから、私にとって、一見何もないようにみえる殺風景な造成地は、とびっきりの遊び場なのだ。

工事現場の人たちにとっては、仕事場。

切り拓かれてできたニュータウンに住む予定の若い家族にとっては、あの風景は、まだ準備のできていない、何もない場所。

いまも外で遊ぶのは、心地よい。
自分の子どもたちに外で遊ばせるのも好きだ。
少なくとも上の子自身も、見るからに好きそうだ。

でも自然の中にダイブとはちがう、わたしの外遊びの感覚。
同じような自然や外遊び好きの家族連れとは、いつも少しばかりのズレを感じる。彼ら彼女らからは、自然へのあこがれを感じる。

わたしの中で、自然は工業化とセットだ。

自然といわれるもののすぐ横に、工事のダンプカーが走っている。
そして、それは浸食されていく。

もちろん生き物たちは住処を奪われるわけだが、そこに人間のスペースができる。わたしは、そこにワクワクする気持ちを感じる自分がいることをこれまで否定してきた。

造成地は、余白の空間。
小さなわたしにとって、それはあまりある広さ。
工具を使って何かをつくるときの「あそび」のある長さ、広さ。

イランで爆速のタクシーで突っ走った一本道。
一見何もないようにみえる荒涼とした大地にも近いものを感じた。

わたしは、いまもあの「あそび」の狭間を
どこかに探しているのかもしれない。

一見何もない場所。
人々が見過ごして通り過ぎていく場所。
そこに繁茂する、雑草たち。蔦。
無造作に乗り捨てられた、ショベルカーとブルドーザー。

わたしは、いまもあの「あそび」の狭間を
どこかに探しているのかもしれない。

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