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YOSUKE TOMINAGA Interview

**昨年12月のSoul MattersにもゲストDJで出ていただいたDJ/Music producerのYOSUKE TOMINAGAさん。国内屈指のレアグルーヴイベントの1つ「CHAMP」のオーガナイザーでもあります。冨永さんが8月26日に新曲7inch「Himalayan PT.2 and PT.3」をリリースするということで、お話を聞いてきました。DJになるきっかけ、「CHAMP」について、そして新曲と曲作りについてインタビューしたので、お時間あるときにぜひご覧ください!

(インタビュー:島 晃一、写真提供:大和田優)**

―皆さんに聞いているんですが、DJになったきっかけは?

冨永陽介(以下T):音楽が好きで15歳くらいからレコード買ってました。先輩から誘われて初めてクラブに行ったのもこのころです。高2のときに、学校の文化祭でDJイベントみたいなのをやったのがDJデビューです。クラブで初めてDJしたのは18歳の時。みんなで横浜の某クラブを借り切って、未成年なのにオールナイトのイベントをやりました。今は絶対できないですね(笑)。

―レコードを買うきっかけは?

T:まだ流行が来る前の裏原宿文化が大好きだったんです。GOODENOUGH、ヨッピーさん、ムラジュンさん、松岡俊介さんを追いかけてました。裏原にNOWHEREがオープンしたての小っちゃい山小屋みたいところにしょっちゅう行ったり。で、今はなき『宝島』に載ってた藤原ヒロシさんと高木完さんの「LASTORGY」ってコーナーをよく読んでて、そのページに曲紹介があったんです。そのあと『CUTiE』〜『asayan』って雑誌でジョニオさんとNIGOさんが「LASTORGY」を引き継ぎそこにも曲紹介が載っていました。情報が少ない時代だったので、雑誌に載ってたレコードはほぼ真似して買ってました。今でも雑誌の切り抜きは持ってます。

―レコード屋はどこに行ってましたか?

T:地元が神奈川県の相模原で、近所に淵野辺ディスクユニオンあったんです。そこでよく買ってました。ターンテーブルも淵野辺ユニオンでローン組んで買いました。ちなみに淵野辺ユニオンは、DJ四丁目とサイプレス上野がバイトしてたんです(笑)。昔は相模原/町田ってけっこうレコード屋があったんです。町田にオスカーってレコード屋が2店舗、それからPAM。ユニオンは2店舗。あと数件。もちろん渋谷のレコード屋にも通って買ってました。渋谷警察署裏のManhattan Recordsとか懐かしいです。そのころはDJって同じ高校に3人くらいしかいなくて目立つ存在で、学校にレコード袋持って行くだけでモテた時代でした(笑)。

―大事ですよね(笑)。それにしても裏原の話は反応しちゃいますね。

T:藤原ヒロシさんの影響はデカイです。今でも大好きな曲「I DANCE ALONE」のカセットテープは好き過ぎて当時20本位買いました。藤原ヒロシさんとムラジュンさん達が下北沢のBASEMENT BARでやってた「MELLOW MADNESS」ってイベントにもよく遊び行ってました。それで、高校3年生のときにMUROさんの『King of Diggin’』ってミックステープが出たんですが、あれが超衝撃的で…即MUROさんのファンになりました。Manhattan Recordsの上にあったStill Diggin'ってMUROさんのお店に通ったり。そこにもレコード売ってました。藤原ヒロシさんの雑誌記事でクラブミュージックを覚えて、MUROさんのミックステープで完全にハマるきっかけになったって感じです。

ちょうどそのころTheRoom関連の音源が結構出てて、MONDO GROSSOの「Family」がリリースされたり。あのレコードも淵野辺ユニオンで買いました。

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―そこから「CHAMP」がはじまる経緯というのは?

T:町田や横浜で定期的にDJしてたのですが、渋谷でイベントをやりたくてCLUB BAR FAMILYで「PEOPLE」ってイベントを主宰しました。当時大学生の時でお客は300人くらい入ってました。それでお客が入りきらなくなったからROCK WESTにイベントを移し、ROCK WESTで数年やって、「PEOPLE」を終わらすタイミングでTheRoomに遊びに行き始めて、今の店長の佐藤強志さんにイベント相談しました。で、もともとやってた「PEOPLE」のメンバーと他のイベントからも面白そうな面子を入れつつ「CHAMP」をスタートさせました。それが2002年の2月です。

―初期メンバーで今も残っているのは?

T:OIBONだけです。他に最初にいたメンバーは、TheRoomの他のイベントでDJしてた工藤ヒロヤ、オルガンバーで一緒にDJしてたキョウヘイ。あとは柳真梨子っていう女の子のDJ。僕の曲のレコーディングを今もずっと手伝ってくれてるトモ(松澤友和)。あと同じ大学のSHOWHACHIです。トモとSHOWHACHIは「PEOPLE」のメンバーです。

―イベントが始まった当初の話を聞かせてもらえますか?

T:CHAMP始めてすぐくらいかな? 新宿LIQUIDROOMでTheRoom10周年イベントがあったんです。CHAMPのメンバーから2人出れる事になり、僕は佐藤店長から出ろって言われて、もう1人は僕が選ぶことになったんです。TheRoomの周年に出るってもう夢の様な話で。もう1人だれにする? って話になった時、手をあげたのはOIBONとキョウヘイ。この2人をTheRoomの階段の下でジャンケンさせたんです(笑)。 結果OIBONが勝った。OIBONはそこからCHAMP中核メンバーになったのかな。あのジャンケンが明暗分けたかと思います(笑)。

―今の形になったのは?

T:工藤ヒロヤが仕事でニューヨークに行くことになってしまい、代わりにいいDJいないかな? と彼に聞いたら、「地元の同級生にレアグルーヴばっか買ってる変な女の子がいるから紹介するよ」って教えてくれたのが大塚広子です(笑)。なぜか四丁目も広子と友達で、淵野辺ユニオンで仕事中の四丁目からもらった広子のミックステープをきいたら、Soul Patrolの「Sweeter Than The Other Side」が入ってて、「僕の欲しいレコード持ってる奴がいる!」ってかなり気になって。で、広子にCHAMPに遊びに来てもらったらイベントを気に入ったとの事で、即DJに入ってもらいました。

広子がCHAMPに入った次に四丁目が入ったのかな? たしか2004年くらい。四丁目は高校の同級生で15歳から仲がいいんです(笑)。当時からの音楽友達です。HICKEYは入ったのいつだったか忘れました。その後に中島雅人がメンバー入りです。

―イベントがスタートした当初の「CHAMP」でレアグルーヴや7inchを買ってたのって、冨永さんと大塚さんってことですか?

T:そうですね。レアグルーヴというか、ジャズとかファンクとかを買っていたのは広子と僕くらいです。僕がファンクを本格的に買うようになったきっかけは、大学生の時に買ったSoul Patrolっていうフランスのレーベルから出てるコンピレーションです。そこに入ってる曲 Soul Excitementの「Stay Together」がきっかけで、7inchでしかリリースされてないようなファンクを買い始めました。あとは、DJ ShadowとCut Chemistが『Brainfreeze』のツアーで来日したのにもかなり影響受けてます。

―7inchは今だと主流ですよね。

T:そうですね、でも、昔からそういうシーンはありましたよね。ノーザンソウル含め7inch文化はあったかと。新大久保にあった片山レコードって知ってます?靴を脱いで入るマンションの一室で、ソウルやファンクの7inchを専門に扱うレコード屋さんです。そこにレコード買いにいったら、黒田大介さんがよく居たんですよね(笑)。 黒田さんが試聴してる横で、当時面識のない僕は店に置いてある『ゴルゴ13』を静かに読んで試聴待ちしてました(笑)。懐かしい思い出です。

―今って生音だったり、レアグルーヴイベント多いじゃないですか?

T:多いですよね。2002年、当時はレアグルーヴイベントは少なかったです。ブラジリアンハウスとかが全盛期の時代で。特にファンクっぽい感じの生音イベントはなくて。覚えてる範囲ですが、deep funkパーティー「SEARCHING」、青山MIXでの「Breakthrough」、小林径さんの「Routine Jazz」。あと、DJ JINさんとCELORYさんとLADIDADIとかが池袋bedやってた「Essence」、毎月のように通ってたMUROさんのOrganbarの月曜日イベントなど。


―イベントを続けていくなかで、音楽プロデュースをはじめていこうと思った理由はありますか?

T:元々はMPC2000を使いサンプリングだけで曲をつくってたのですが、全てをオリジナルでつくりたい、バンドで音楽をつくりたい、と2010年くらいから考え始め、仲の良かったMountain Mocha Kilimanjaroのメンバーとスタジオ入りし始めました。

―1曲目の「Daytona」、ベースとドラムだけというのが特徴的ですよね。あれは意図的だったんですか?

T:違うんです。僕がホーンフレーズをうまくつくれなかったんです。最初はモカキリのタイガー(Dr)とテムジン(Tp)とカルロス(sax)、あとROOT SOUL(B)でつくってたんです。ドラムとホーンとベースで。ところが、テムジンとカルロスとのレコーディングがうまくいかなくて。で、タイガーのドラムだけ先に録ったんです。そのあとROOT SOULのベースをレコーディングしたら、「あ、これでいいじゃん。曲が成立した」って。で、Daytonaをつくってるときに、福島県のレコード屋さんLittle Birdに遊びいって、オーナーのDJ MARCYさんとドライブしてる最中、MARCYさんが車の中でかけてた曲がドラムとベースだけのライブラリー楽曲だったんです。その曲が凄いカッコよくて「自分は間違ってないんだ。これだけでいこう」と。確信しました。元々ドラムとベースは1番好きな楽器ですし。

―2012年の3月に初めてちゃんとクラブ通ったのが「CHAMP」で。ゲストがMARCYさんだったんですが、そこで「Daytona」を2枚使いしてたときのインパクトが強くて。そこからCHAMPっていうと「Daytona」みたいなファンクのイメージがあります。昔のレコードだと「Future II」がイメージに近くて。

T:CHAMPは、「Future Ⅱ」みたいなドラムが効いてる、ゴリッとした直球ファンクが一番盛り上がります。CHAMPメンバーはみんな元々HIPHOPを聴いていたから、ドラムブレイクが好きなんです。あと、個人的にはライブラリーのレコードもよくDJで使います。ドラムブレイクだけのライブラリーとか。教則モノのレコードとか。

―冨永さんはライブラリーの人なのかなって思ってて。最近もけっこうかけてますよね。

T:ライブラリーは20年前くらいから買い続けて、いまでもよく買うし、よくDJで使います。DJで使うには音が小さくてクラブプレイに向かない盤もありますが、ライブラリー音源には制作にかかせないヒントが沢山詰まっててかなり刺激的です。リリース枚数がレーベルごとに多すぎてチェックしきれていませんが。元渋谷ユニオン店長のカワムラ君やMARCYさんにはだいぶ教えてもらいました。

―僕らのイベントに出てもらった時って、ディープファンクの人気盤とかもかけてもらって。でも「CHAMP」のときはちょっと実験的なというか。必ずしも踊りやすいのではないですよね。

T:フロア受けしないような曲もかけます。あと、ゲストで呼ばれてDJする時と「CHAMP」でDJやるときは別ものです。ゲストで呼ばれた時はもちろん出番はピークタイムですから踊らせる、フロア受けするようなのを多めにかけます。毎月レギュラーの「CHAMP」の時は、いつも僕がメインの時間にDJするわけじゃなく、僕は好きなものをかければいいかな、と。フロアの様子を見て踊ってなくても全然気にしないです。


―レコードの買い方は楽曲リリースした後に変わりましたか?

T:バンドで曲をつくり始めて、レコードの買い方、選び方は変わりました。単にDJだけをやっていたときは、クラブでかけれる、かけれない、自分のプレイに組みこめれるか、という判断基準でレコードを買ってました。曲をつくりはじめてからは、参考音源で聴くだけの理由で買ったりもするようにもなりました。パーカッションのこの一瞬のこの部分だけがかっこいいから買う、このドラムのスネアの鳴りだけがかっこいいから買う、このギターのファズの鳴りが理想だから買う。そういうレコードの買い方もするようになりました。サンプリング用に使う買い方とはちょっと違う買い方です。

―それでレコードからインスピレーションを得て曲作りを?

T:もちろん自分でレコードを買ってインスピレーション受けたりもしますが、DJを聴いてインスピレーションを受ける時も多いです。MARCYさんとuniversounds尾川雄介さんのDJ/選曲は曲づくりに使えるアイデアの宝庫です。インスピレーションもらいまくりです。

例えば、尾川さんのかけた「Clair Déluge」(横田年昭)を聴いて「Phantom」をつくりました。出来た曲は全然別ものですが、あの曲は頭痛するくらい痺れました。かっこ良すぎて気分が悪くなるくらいの衝撃です。不定期開催の「Deep Enough」というイベントの時です。

―「Phantom」は特にですけど、7inchとLP『THE CHAMP』に収録したもの、テイクが全く別ですよね。

T:リリース済みの曲をそのままアルバムに入れてもまったく面白くないから、全曲構成を変えて1からつくり直してレコーディングしました。アルバムは全楽器その場で音を出しての完全一発録り。ある意味ライブ盤です。TheRoomで全て録ったんですが、楽器が近すぎて音が混ざり過ぎてたり、いいテイクに限ってマイクがノイズを拾ってたり……そのまま使いましたがトラックダウンが大変でした。因みにレコーディングは全てマイク4本で録りました。


―リリースした曲でお気に入りはどの曲ですか?

T:お気に入りというかリリースのポイントになったのは「Daytona」、「Phantom」、「Haze」、「Bisco」です。「Daytona」を出して、Kenny Dopeがミックスに使ってくれたし、Mitsu the Beatsさんがヘビープレイしてくれた。「Phantom」もKenny Dopeがヘビープレイしてくれた。その後、Kenny DopeとDJ Spinnaが僕に会いに来てくれて「Kay-Dee Records」との契約が決まりました。で、Kenny Dopeのレーベルからリリースされたのが「Haze」。「Bisco」はフジテレビのゴールデンで毎週使われてました。この4曲は僕のリリースのポイントになったかと思います。

―「Bisco」はMARCYさんやRyuhei The Manさんもよくかけますよね。僕もかけると若いお客さんからもすごい反応があって。

T:「Bisco」のファズベースとピュンピュンマシンの組み合わせは、たぶん世界中みてもない楽器の組み合わせだと思います。もしかしたらライブラリー盤にはあるかもしれないけど、ダンスミュージックにはない組み合わせだと思います。コスガツヨシさん(cro-magnon)の絶妙なピュンピュンマシーンに、ROOT SOULさんのブットいファズベース。タイガーの走ってるドラム。「Bisco」はスネア、ハイハット、バスドラムだけでビートをつくりました。

―冨永さんはファズをよく使いますよね?

T:僕はJimi Hendrixが大好きなんです。ヨーロッパのサイケロックも大好きでファズギターが大好きなんです。因みに竹内朋康さんがオリジナル・ジミヘンファズを持ってて、新曲「HIMALAYAN」のレコーディングで踏んでもらいました。


―せっかくなので新譜についてお聞きしたいです。

T:新譜は「HIMALAYAN」(ヒマラヤ)というタイトルで、去年リリースしたCDのアルバムには入れてあるんです。あの曲は最初7inchで出そうと思ってたんですが、CDのアルバムに使う事になり、タイミング悪く7inchを出せなかったんです。お気に入りの曲だったのでつくり直しバージョンアップして、PT.2 and PT.3としてリリースする事にしました。

―「HIMALAYAN」の着想元みたいなのってありますか?

T:Little Birdで、MARCYさんに珍しいレコードを聞かせてもらったんです。その曲のドラムがバスドラムとハイハットだけだったんです。凄いカッコよくて購入したかったんですが、金額的にその時は買えずかなり悔しくて……じゃあ自分でバスドラムとハイハットだけでドラム組んで曲つくるかな、と。スネア抜きで初めてドラムブレイクを組みました。

―なるほど。冨永さんは曲を作る時、ドラムのパーツを抜くって考えるんですか。割とミニマルなというか。

T:僕はドラムの1個1個の鳴りを際立たせたいんです。今回はスネアをメインで組むとか、バスドラをメインに組むとか、そういう考え方です。ドラマーの岡野”TIGER”諭と曲づくりするときに「これはいらないか」って色々外してみたり、ハイハット代わりにライドシンバルを置いてみたり。ドラムは音の鳴りでパーツを決めます。

―じゃあこの曲はこのパーツを際立たせてっていう。

T:「Phantom」はバスドラム、「Daytona」はスネア。「Magnetic」はスネアとハイハット。GAGLEの「Straight No Chaser」をつくったときはバスドラムとスネアのみのビートです。パーツを減らしてつくった方が、音づくりは一個一個の輪郭がくっきりするんです。この楽器を際立たせるにはこの楽器いらないって考え方です。バスドラムを際立たせるにはタムがいらないとか、スネアを際立たせるにはタムがいらないとか。ハイハットを際立たせるにはクラッシュシンバルがいらないとか、そういう考え方です。

―それでベースを入れるときは?

T:iPhoneのボイスメモに鼻歌フレーズを貯めてあって、ROOT SOULにそれを聴いてもらって、細かいところを2人でアレンジしてコード進行を決めていく感じです。ほぼワンループですが。

―メロディは自分で?

T:鼻歌でミュージシャンに伝えます。沖野修也さんの真似です。最初は聞かせるのが恥ずかしくて恥ずかしくて、大変でした(笑)。

―鼻歌なんですね。それはレコードを聞いたりしてフレーズを選ぶんですか?

T:曲づくりはだいたいまずドラムからつくります。で、ドラムを録った後に、それを何日もいろんな場所、環境で聴いて、その上に合うベースラインを考えます。寝起きで頭が空っぽの時や、疲れてて朦朧としている時にわりとフレーズが浮かんでくることが多いです。それを忘れないうちに鼻歌で録っておくんです。

―井出靖さんの「Brian’s Organ」リミックスはベースレスですよね。

T:他の楽器をメインに考えたかったので、ベースはあえて外しました。で、ドラムは全部録り直しました。ギターとオルガンは音色を変えて組み直しました。あの曲はKenny Dopeの「Light My Fire」のリミックスが参考音源です。Kenny Dopeの音づくりはほんと好きなんです。Ryuhei The Manさんともよく話すんですが、特にスネアの空気感がよくて、走ってる速いドラムでもスネアとスネアの間に空間があって、隙間に空気がはいっているというか。サンプリングではない生音のバンドの音をその鳴りにトラックダウンして仕上げるのは、かなり難しい筈です。例えばDamn Sam The Miracle Manの「Smash」って曲あるじゃないですか。あれはオリジナル盤よりKenny DopeのEdit(Smash PT.2)の方が鳴りがいい(クラブプレイ向き)と思います。

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―DJでバンドと一緒に曲をつくるプロデューサーが増えてきましたよね。

T:沖野修也さんと須永辰緒さんは既に何枚もアルバムをリリースしていますし、Ryuhei The Manさんには早く新曲をつくってほしいです。DJ JINさんは今年Cro-Magnon-Jinでアルバム出してますよね。友人の城内もリリースしてます。仙台のDJ SHIBAくんは7inchリリースしました。次は盛岡の怪人NEGAMI RELAXあたりがリリースすると良いのですが。数年前からレコード出す出す言ってる根上さん。いつリリースなんですか?! 早くしてください。と、この場で言わせてもらいます。

―冨永さんのLPが出た時、すごい人数がTheRoomに来てましたよね。

T:LPのリリースパーティーには200人以上来ていただきました。LPは物販のみのリリースで、当日は2時間で100枚以上売れてほんと嬉しかったです。1年かけてつくった甲斐がありました。全国ツアーもしたし、アルバムをリリースするのと7inchリリースするのでは周りの評価が全然違いますね。

―CDでも『The CHAMP』出しましたよね。曲も加えて。やっぱりレコードで出すのと違いますか?

T:LPの発売当初、CDでアルバムを発売する気はまったくなかったのですが時間がたってタイミングよくレコード会社からのオファーが来てうまく話がまとまり発売することにしました。

CDを出してみたら民放で使われるようになったり、渋谷タワーレコードの試聴機でデザイナーさんが僕のCDを聴いて服のイメージに合うとのことで、ファッションショーという大きな仕事も決まりました。

―東京コレクションめちゃくちゃカッコよかったです。

T:ありがとうございます。

―あれ普段のDJと全然違いますよね? モデルさんの準備とかリアルタイムで変わるんですもんね。

T:東京コレクションは規模がでかいです。普通のDJとは訳が違います。秒指定があり、15分のステージの為に打ち合わせを何回もやりました。秒単位でピッタリ合わせてやるのは大変です。リハーサルは何度もやりましたが、本番で急に変わったり。右耳にインカムつけて左耳にヘッドホンしながらDJしたのは初めてです(笑)。因みに会場がかなりデカかったので、音の跳ね返りも数秒後だったり初体験だらけでした。いい経験になりました。

―今後のリリース予定は?

T:金子巧さん(cro-magnon)にシンセベースひいてもらったつくり途中の新曲があります。年末あたりに発表できるかと思います。ドラムの録り貯めも5曲はあります。順にリリースしますのでよろしくお願いします!

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YOSUKE TOMINAGAさんのアルバムCHAMP
itunes:https://music.apple.com/jp/album/the-champ-compiled-by-yosuke-tominaga/1012996595

島 晃一の執筆仕事一覧はこちらから。
https://note.com/shimasoulmatter/n/nc247a04d89ed

島 晃一(Soul Matters / CHAMP)
Twitter:https://twitter.com/shimasoulmatter

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