見出し画像

心に寄り添い続けよう

今日もワンチームの中の、たくさんある目のうちの1人として、課題や問題と真剣に向き合う仕事ができた。
仕事に限らず人生全般において、やはり私は、死ぬまで徹底的に「心」に寄り添い続ける存在でありたい。
10年前も20年前も30年前もそうだったように、今も明日も徹底的にそこだけは貫きたい。
心というのは、自身の心も他者の心も。

なんで自分は外の世界にこんなに執着がないんだろう、って子どもの時からよく思うことがあった。
お金とか物とか上辺だけの人間関係とか。
そんなことのことを考えるくらいなら、1人の部屋で銀色夏生の詩集とか読んで内面世界を掘り下げて、この世界をもっと深めたい広げたいってポカンと考えてる人間でした。
今はもう少し多少は大人になったけれど。

今は目の前に例えば幼い子どもが自分のおもちゃをお友だちに取り上げられて奇声を上げて怒っている子がいたり、言葉にできずただうつむいてるだけの子がいたり。一方で、興味を持ったおもちゃがそこにあったから力任せに取り上げる子がいる中で、どの子にもその子なりの心があって。
それだけは間違いなくて、社会的にはそれがどうあれ、ただただどの子にもその子なりの思いがあって気持ちがあって人生があって、それは一言二言では説明できないくらい繊細で不明瞭で、理屈ではどうしようもないもので。
だけどそれが「心」ってやつなわけで。
いろんな人がいろんなこと考えるであろうその場の状況の中で、私はとにかくただただ「心」に寄り添い続けたいって思う。

大人も一緒で、
例えば無断欠勤する人がいて、無断欠勤されて困る人がいて、無断欠勤されて怒り狂う人がいたりする中で、社会的にはどうあれ、ジャッジするなら結果はどうなるかってことはさておき、それぞれの人にそれぞれの心があること、そこは間違いないと思うわけで、私はそこに寄り添い続けたい。
細かい話なわけだけど、それが「心」ってやつなわけで。

この世界には内的な世界と外的な世界の2つの世界がある、と乱暴な言い方をするならば、私は、内的な世界を大切に大切にしよう。

そんな仕事がしたいし、そんな生き方がしたい。

さあ今日のお仕事、もう一件。
楽しんでいこう。
レリゴ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?