映画『82年生まれ、キム・ジヨン』CMの致命的な欠陥

『82年生まれ、キム・ジヨン』という小説がある。韓国の作家が放つ強いメッセージに突き動かされる作品だ。

女性の生きづらさを淡々と、でもおそろしいほどリアルに描いた本作は、希望のようでも、絶望のようでもある。
是非、読んでほしい。

CMの件

この作品が、韓国で映画化されて今年の10月から日本でも上映されるらしい

とても楽しみで、意気揚々とCMを観ていたら愕然とした。

この動画の1分15秒ごろから始まるナレーションが、ひどいのだ。

誰かの妻で、母で、妻で、娘であるあなたに贈る 共感と絶望から生まれた希望の物語

問題は、これを「男性の声」で言わせた点にある。(※1)

この作品は、男性を中心とした社会に女性が苦しめられて精神が崩壊していく様を描写している。さらに具体的に言うと、役割の押しつけ、が主人公を苦しめている。

妻であるなら(嫁であるなら)こうあるべき
母であるなら、こうあるべき
娘であるならこうあるべき

それを男性中心社会(※2)から押し付けられて、主人公は真綿で締め付けられるように苦しみ、じわじわと精神を壊していくのだ。

このCM自体がその役割の押し付けを嫌と言うほど具現化していないだろうか。男性が、役割を持った女性に、この物語に希望を見出せ、と伝えているのではないか。

立場の問題

もう少し構造化してみたい。

ナレーションでは「男性」が「女性」に語りかける形式をとっている。
女性が「受動的にならざるを得ない」ことを苦しみの一部として取り上げている本作を理解していたら、こんな表現できなかったと私は思う。

原作の表紙を見ればわかるように、主人公は極めて意図的に抽象化されている。作者は、2016年刊行当時34歳の女性のリアルに強く共感するように、82年生まれの女性で最も多い姓名である「キム・ジヨン」を主人公の名前に選んでいる。

このものがたりは『WE(わたしたちの)』ものがたりなのだ。

女性の多くが共感する辛さを鮮明に描くことによって、女性の「エンパワメント」を図る作品だったのだ。
女性が、女性に向けて、辛さや苦しみをあらわにして、世の中を変えようと呼びかける作品だった。

この「エンパワメント」に読者は勇気をもらうことができたのではないか。

だからこそ、「安易なヒューマンドラマ」のようなナレーションにすごくガッカリした。希望を謳うCMに絶望したのだ。

注釈

※1:起用された声優さんの問題では全くない。広告を作った側が原作を読み込んでいないことが原因だと思われる。

※2:「男性が」押し付けているわけとは限らない。男性中心社会の思考様式に染まった人が役割意識を求めていると認識している。事実、作中で主人公を苦しめる中心人物の一人は義母である。


伝えたいこと

コメント欄で言いたかったことと真逆のことをおっしゃってる方がいたので、付け加えます。

私はフェミニストであると自称しています。目指す社会のあり方は、性別に限らず抑圧されない社会です。女性への抑圧、男性への抑圧、セクシャルマイノリティへの抑圧、全てがなくなればいい、と思っています。

自分が女性であることもあり、女性の抑圧について声を上げることが多いですが、女性の方が優位に立つべきとか男性は女性のいうことを聞けば良い、だなんて1ミリも思っていません。人間関係が生じる際に、性別や性的指向で自動的に優劣が決まる状態を改善したいと思っているのです。

女性を優遇しろ、となってしまうとミサンドリーになってしまい、本末転倒です。

革命的な解決方法は思いつきませんが、今回の作品等を通してお互いの抑圧や苦しみを理解することが第一歩だと思っています。


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