りな

福岡から東京に出てきた社会人1年生。教育学部生だった人。浪人、いじめの経験だったり、フ…

りな

福岡から東京に出てきた社会人1年生。教育学部生だった人。浪人、いじめの経験だったり、フェミニズムや障害について思うことだったり、勉強会の備忘録だったり。 書きたいときに書きたいだけ。 迷走中なのが如実に表れている文章で読みづらいですがご了承を。

最近の記事

父を許せない私と父に愛されたかった私

書くことで、気持ちの整理をつけたいがための殴り書きなので、支離滅裂で人によってはヘビーな内容になってると思う。 そんなに珍しい話じゃないが、父親のことが心の底から嫌いだ 父親は好きなことを仕事にしたタイプであり、学歴もかなり凄まじく、職歴を見れば十中八九エリートと言われるような人生を歩んできた人だ。基本的に全て仕事が優先だった。仕事の都合で子供の意見は聞かれることなく何度かの転校を経験したし、学校行事にも仕事が万が一空いていたら来る、くらいのテンションだった。仕事もないの

    • 卒論日記と言えないほどの雑記

      大学4年生、卒業論文執筆真っ只中である。 テーマとして取り上げているのは、福祉的就労の施設経営者だ。 (福祉的就労、というのを端的に言うと、福祉政策の枠組みの中で働くあり方のことである。対象は様々だけど、私の場合は障害のある人が働く場に注目している) なんでそのテーマなの、と聞かれることがある。 答えは単純で、今まで出会った事象の中で一番価値観を振り回されているから、だ。 福祉的就労という枠組みで働く人の中には、最低賃金が保証されない人がいる。初めてそのことを知ったと

      • 創作する私

        ここ趣味はありますか。 私のメインの趣味は2つ。お芝居を見ることと、小説を書くことです。 もともと、物語というものが好きで、漫画も小説も映画もアニメもドラマも大好きでした。作る側に回りたい、と思うようになったのはいつのことだったでしょうか。 色々試したりしたのですが、一番のめり込んだのが小説の執筆でした。 スタートは夢小説のサイトで、二次創作にのめり込み、そこから色々と変遷を経て、今では一次創作・二次創作問わず、自分の気のむくままにいろんな題材を書き散らかしてはネットの

        • どうしても無理な人と、

          どうしても無理な人っていませんか。 別に間違ったことを言っているわけでもないし、犯罪をしているわけでもないけれど、合わない人。 性格が合わなかったり、倫理観が合わなかったり、守るべきルールの基準が違ったり。 たぶん、私も誰かにとって「どうしても無理」って思われている。 それはさておき、どうしても無理な人が身近にいたとき、皆さんはどのように対応していますでしょうか。 私はどうしても無理な人がいたとき、基本的には距離を置きます。関わり続けても、双方にメリットがないので、

        父を許せない私と父に愛されたかった私

          「障害のある人が作ってます」の意味

          同じように見える商品でも、その商品が持っている「ストーリー」によって価値が変わることがある。 最近の試みでは、動物園がクラウドファンディング のお礼に「ライオンがボロボロにしたダメージジーンズ」を設定してみたりしているのだとか。 ただ使うだけ、食べるだけなら大差はないけれど「環境に優しい」とか「人助けにつながる」とか「フェアトレードです」とか書いてたら、なんかちょっぴり値段を上乗せしてもいい気がする。 付加価値、とでも言ったらいいんだろうか。 ここでちょっと気になって

          「障害のある人が作ってます」の意味

          「それって発達障害じゃない?」は失礼なのか

          twitterで、「家族のこういう行動が困ってる」「こういう不調がある」「この仕事は自分の苦手な部分だ」とかはたまた芸能人のトラブルのニュースとか。 そういう呟きに対して、「もしかしたらそれって……」というリプライが送られているのを、みんな一度くらいは見たことがあるんじゃないだろうか。 病気かも、体の不調かも、法的な問題かも、使える制度があるかも、とお節介やアドバイスが送られている。 このリプライに対する反応は千差万別だ。 「もしかしたら〇〇って病気の前兆かも」という

          「それって発達障害じゃない?」は失礼なのか

          映画『82年生まれ、キム・ジヨン』CMの致命的な欠陥

          『82年生まれ、キム・ジヨン』という小説がある。韓国の作家が放つ強いメッセージに突き動かされる作品だ。 女性の生きづらさを淡々と、でもおそろしいほどリアルに描いた本作は、希望のようでも、絶望のようでもある。 是非、読んでほしい。 CMの件 この作品が、韓国で映画化されて今年の10月から日本でも上映されるらしい とても楽しみで、意気揚々とCMを観ていたら愕然とした。 この動画の1分15秒ごろから始まるナレーションが、ひどいのだ。 誰かの妻で、母で、妻で、娘であるあなた

          映画『82年生まれ、キム・ジヨン』CMの致命的な欠陥

          なぜ人は課金するのか〜実質無料の心理状態〜

          課金課金。時に社会問題として語られる、お金の動き。 どうして人はここまで課金するのか。 ギャンブル的な要素があるから、購買意欲をそそる工夫がされているから、と説明されるが、今ひとつピンときていなかった。 本との出会い そんなとき、ご自身が経営されているカフェでの実践を通して新しい経済の形を描く『ゆっくり、いそげ-カフェからはじめる人を手段化しない経済-』(クルミドコーヒー店主 影山知明)という本に出会った。 東京の西国分寺でクルミドコーヒーというカフェを、経済哲学を持っ

          なぜ人は課金するのか〜実質無料の心理状態〜

          お母さんってなんじゃろな-アメリカ映画を題材にして-

          注意書き 映画に関する考察を含んでいます。ネタバレ要素を含みます。それでも良い方はご覧ください。 まえがき なんだかぐわあああと思うことがあって、それを文字にしておいて、誰かから反応をもらえたら嬉しいなと思って、投稿することにした。 新型コロナウイルスの影響もあって、バイトも無くなって家で過ごす時間が増えた。ちょうどそのタイミングで家族がアマプラに登録したこともあって、どうせなら今まで見てこなかった映画を見よう、と何本か映画を見た。 障害のある人の生活とかに興味があって

          お母さんってなんじゃろな-アメリカ映画を題材にして-

          演劇を、待つ。

          演劇が好きである。 演劇が好きと言っても、ろくに演技をしたこともなく、演劇論に造詣が深い訳でもなく、全通は遠い夢で、2019年の観劇数はライビュ含めて18本という、ガチとは言い難い観劇オタクである。 最初はなんとなく見に行って、ハマって、推しができて、日々楽しく推し活している。辛いとき、苦しいとき、この公演を見るまでは頑張ろう、あのDVDが出るまでは頑張ろうと思うよすがとなってくれていた。 正真正銘、生きる糧だった。地方に住み、大学生という身分も相まって見たいものを全て

          演劇を、待つ。

          すごくない私の話

          就活生その1 私は今、絶賛就活中である。 十中八九と言って良いほど聞かれる質問が「あなたの長所・得意なことはなんですか?エピソードを交えてお話しください」なのだが、この質問にほとほと困っている。 見つからない。なーんにも。一つも。 就活生で、このご時世で必死だから捻出するけど、サイズが違う服を着ている時みたいな、居心地の悪さをずっと感じている。 悩んで、もうゼミの先生から、友人、家族、挙げ句は飼っている犬にまで相談する始末。ありがたいことに、周りからはここがすごいんじ

          すごくない私の話

          体を引き受けるということ

          卒論やらなんやらで、障害とかセクシャリティとか、そういうことを考える機会が増えている。 最近よく目にするのは、自分の体を引き受ける、というテーマだ。 それについて、感じたことを残しておきたいと思う。 専門的な勉強をしたわけではないし、本もほとんど読めていないので、一大学生の雑駁な感想だと思って読んでほしい。 先日、ちょっとしたきっかけがあって、自分のことを見つめ直す機会を得た。就活で私がどういう人物で、何を考え、どう生きてきたのか事細かに聞かれたことも影響している。 じ

          体を引き受けるということ

          弱さを曝け出す意義-当事者研究に参加して-

          当事者研究という単語をご存知だろうか。 北海道は、浦河べてるの家からスタートした取り組みである。 少し長いが、引用させていただく。 「当事者研究」は、北海道浦河町における「べてるの家」をはじめとする起業をベースとした統合失調症などをかかえた当事者活動や暮らしの中から生まれ育ってきたエンパワメント・アプローチであり、当事者の生活経験の蓄積から生まれた自助-自分を助け、励まし、活かす-と自治(自己治療・自己統治)のツールである。 当事者研究では、当事者がかかえる固有の生きづら

          弱さを曝け出す意義-当事者研究に参加して-

          言葉選びと呼び方の話

          去年の話。ずっともやもやしていたけれど、消化できないので文章にしてみます。 障害のある方が生活していたり働いていたりする施設に、見学に行く機会があり参加させていただきました。見学自体はすごく学びが多くて、素敵だなあと感じていました。 もやもやを感じたのは一緒に参加したある方(仮名Aさん)の言動でした。 知的障害のある女性(仮名Bさん)とお話しさせていただく場を設けていただいたのですが、そこで一緒に参加されていた方が「〇〇ちゃんって呼んでもいい?」と声をかけて、その方に向か

          言葉選びと呼び方の話

          褒めるだけじゃダメですか

          先日の授業でのこと。 とある先生の言葉がすごく引っかかった。 「あのね、褒めるだけの教育は楽なの。生徒も教師も傷つかないし。きちんと向き合って本気で叱らなきゃ」 私には、いくつか疑問が残った。 と言うのも、その先生がいい事例として見せてた映像では指導者側が「なんでそんなこともできないの!!」と泣きながら怒っていたから。 中高生の頃、私はこう言うタイプの先生や先輩がめちゃくちゃ苦手だった。体育祭や、授業や、部活で。できないことに色々理由があったり、そもそもやりたくないこ

          褒めるだけじゃダメですか

          自己責任と自己矛盾

          なんかタイトルがやたらと仰々しくなってしまっていますが、最近考えていることについて書ければな、と思います。 私は福祉領域に興味があって、「人に頼ってもいい」社会にしたほうがいい、自己責任論は自分の首を締めるだけだ、と考えている人間です。 簡単にまとめると、できないことがあってもいい、できない理由は問わずに社会で支え合おう、という考え方の持ち主です。 ですが、最近その考えを突き詰めて行く中で、自己矛盾を抱えていることに気がつきました。 私が自己責任論を一番押し付けているの

          自己責任と自己矛盾