明治エッセルスーパーカップ
昔から明治エッセルスーパーカップのチョコクッキー味がめちゃくちゃ好きで良く買うのだけど、歳とともに付き合い方を変えなくてはいけないと悟った。
アイスの部分ですら甘いのに、チョコクッキーの部分はより甘いから口の中が鬼甘々になるスーパーカップ。
昔は蓋にアイスがこびり付いて剝がすのが多少面倒だったけど、プラスチックカバーが付いたので問題も解消されたスーパーカップ(何年前の話)。
味、製品性能、顧客対応、長年愛されるブランド。新規参入する新商品アイスが喉から欲しいであろう称賛を全て得たと言っても過言ではない、そんな絶対王者に死角は無いはずだった。
しかし時は令和、ある日スーパーカップを食後に食べている最中、祇園精舎の鐘の音が絶対的王者転落の瞬間を告げるのであった。
「食えねえ……」
そう、スーパーカップに非はない、原因は歳とともに胃袋が小さくなった私にある。齢25歳にして食後に食べるアイスとしては、完全にキャパオーバーなのであった。
数年前までは全く起きなかった問題。大学時代は飲み会後に近所のコンビニでスーパーカップを買って帰って食べたら、「もう1個買えばよかった」と後悔していた頃が懐かしい。
エッセルとの急な別れを予感した私は、馴染み深い蓋のプリントを見て、涙ぐみながらエッセルに語り掛けるのであった。
◎
――ああ、マジか。ごめんなエッセル。
――小学生の頃からお前のこと好きだったんだけど、もう受け入れてやれないかもしれない。
――昔は安くて大容量ってだけでお前のこと選んでいたけど、段々付き合っていくうちに良さに気づいちまってな……気づいたら10数年お前と一緒に時を過ごしていたよ。
――でもよ、お前相変わらずいい奴だから、他の子どもにスグ良さが知れ渡るだろうな。
(エッセルの声)
「買いかぶり過ぎよ。確かに昔なら、味と大容量という2点の魅力で勝負できたかもしれないわ。でもね、最近はメーカーの努力が凄まじくて美味しいアイスは沢山出てくるし、コンビニ各社も開発をするようになって小売店のスペース競争は年々激化。最近じゃ私を見ない小売店も少なくないわ……それにこれからは少子高齢化も加速していく中で、『量』を重点的に攻める私に希望なんてありゃしないのよ」
エッセルの言うことは、少し悲観的過ぎる情緒を交えながらも悲痛な叫びとして心に響いた。自分の老いがエッセルを変えたのか、それとも時代の行きつく先なのか。
止まらないアイス戦争。激しく進む少子高齢化。
この激動の時代に一世を風靡したアイスたちは生きれるか。
私はエッセルとの会話を辞め、歯を磨き、布団へと向かうことしかできなかった。
無力な自分を、これほどまでに嘆いたことは無かった。
※このお話はフィクションです。エッセルは語りかけませんし、筆者は今でもチョコクッキーを愛しております。
追記:
エッセルというネーミングは、エクセレント(Excellent=非常に優れた)と、エッセンシャル(Essential=絶対に必要な、基本的な、主要な)からできた造語なんです。おいしくて質の高いアイス(excellent)、いつもみんなの真ん中にある正統派アイス(essential)、という両方の意味を込めています。
これからも、エッセルをよろしくね。
(株式会社明治HPより引用)
最後の一文。泣いた。
最後まで読んで頂きありがとうございます!文章を読んで少しでもほっこりしてくれたら嬉しい限りです。