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自由に憧れ、自由を厭う

"Liberty means responsibility" That is why most men dread it."
 George Bernard Shaw


春になり、父が実家を出た。

というのは、訳あって家を4日ほど空けるらしいので「猫の世話を頼む」とだけLINEを残し、私は急遽束の間の1人暮らしをすることになった。

なぜ父が家を空けるのか、未だ理由を知らない。健気なのか、無頓着なのか、私も理由を聞かない。

「猫のために残ってくれ」という父と、「久しぶりに猫に会いたい」という私の利害が一致した。行動原理はこれだけで十分なので、私は同居人に「いってきます」とだけ言い残し、海辺の実家で4日間猫と悠々自適に暮らすことにした。


実家の最寄りから徒歩20分弱。もぬけの殻になった家に、到着すると猫2匹が丁寧にお出迎えをしてくれた。

手洗いうがいをしてソファに飛び込んだと同時に、父から新たにLINEが来る。

「最寄り駅の駐輪所にチャリを置きました。最近盗難が多いので、取りに行ってください」

父よ、なぜ盗難が多いことを知っていてチャリで駅まで行った。

そうなのだ、うちの父は自由なのである。特に今更疑問に思うことは無い。

自由さに慣れた息子はソファから飛び上がり、最寄り駅に再び向かうしかなかった。

もし父みたいな自由な人間が周りに溢れたら、私はその場から逃走する自信がある。父は自由というより、(厳しくいうと)他人の都合を考えない人なのだけど、齢54にして己の性格を顧みない様子を見ると「細かな人間関係のやりとり」を放棄したという意味で自由だともいえる(皮肉)。

まあ、家族だから気にしていないというのが一番大きな要因なんですけどね

一方で、細かな人間関係は大事だけど「考えるだけ無駄」な場合があるというのも事実だし、所謂「繊細さん」にとっては父のような気にしない精神を少しは身に着けたいと思っている方もいるかもしれない。

どちらの感性を選択するのか、それも人の自由。

誰と関わるのも、誰に何の指示を出すのかも、誰に気を遣うのかも、本当は全て自分自身が決めてよいのである。


しかし、ほとんどの人は選択をしない。一般常識、言われたこと、親からの教え、今までの経験、これら過去情報に則り行動のひとつひとつを無意識に進めている。

勿論、この無意識に行動する、「選択しない」ことを選択するのも自由。

詰まるところ、ほとんどの人間は自由だと思う。

そのことに気が付くだけで、意外と人生ハッピーなものだ。

目の前の結果は、自分の自由が生んだ産物。

そう捉えることで、見えてくるものもあるんだぜというお話。


追記:

バーナード・ショウは読んだことがありません。










最後まで読んで頂きありがとうございます!文章を読んで少しでもほっこりしてくれたら嬉しい限りです。