宿題しないことは、やりたいことをするための選択のひとつだった
「先生、私の息子ったらね、全然宿題しないんですよ。」
学校司書の先生とのおしゃべりは、とても楽しくてついつい長話をしてしまいます。
私は普段、小中学校に非常勤で入り、ICT機器を使った授業のサポートの仕事をしています。学校司書の先生と接点はあまりないものの、なぜか仲良くなることが多いのです。
そこで仲良くなった司書の西田先生に息子の相談をしたことがきっかけで、西田先生の息子さん(修也さん)のお話を聞かせていただきました。
「うちの息子は、宿題を高校卒業するまでしなかったけど今大学院生やってますよ。」
宿題を全くせずに大学院?何がどう転んでそんなことになったのでしょう。
私は、すっかり修也さんのこれまでに興味が湧いてしまい直接ご本人にお話を伺えないか尋ねてみました。すると、意外にもインタビューを受けてもいいとのこと。
当時はどんな想いで過ごしていたのか、どこか息子の気持ちを探すようにお話を伺いました。
ーーこの度はインタビューのご協力ありがとうございます。なぜ、受けて下さったのかお聞きしてもいいですか?
はい。インタビューなんてされたこともなかったし、面白そうだと思って。
ーーありがとうございます!早速ですが、修也さんは宿題をずっとしなかったとお母様からお聞きしました。
そうなんです。小学4年生くらいの時に一度宿題を忘れていったことがあったんです。
その時からずっと宿題はしてなかったですね。
宿題をやらなかった明確な理由ができたのは高専に入ってからで、小学4年生から中学の頃は、何も考えず単純に友達と遊んでいました。
ーー明確な理由とは?
勉強したかったんです。
プログラムの勉強にハマっちゃって。宿題やらずにずっとプログラムの勉強してましたね。
とにかく本質は変わってなくて、やりたいことやってたら宿題をしなかっただけというか。
きっかけは家族旅行
ーーなるほど、勉強がしたくて宿題をしない。しかし、中学では内申点制度がある中で高専に進めたのはどういった経緯なのでしょうか?
反抗心のようなものもあった気がします。内申点なんかなくても進学してやる!と。しかし、公立は諦めるしかなく、私立か高専の二択になってしまって。
どちらかというと、技術的な大学に入りやすそうな高専を選んだんです。
大学に入りたいと思ったのは、家族旅行で北海道大学内にある博物館を訪れた時に、古生物学や天文学などの展示を見てすごく興味が湧いたんです。親切な学芸員の方々にも魅了されて、専門分野に関わる大学に行きたいと思うようになりました。
ーー家族旅行でそんなきっかけが生まれたんですね。
結構旅行にはあちこち連れて行ってくれましたね。小さい頃からとにかく乗り物が好きだったのもあって、目的地よりも道中の景色を眺めることが好きでした。
実家のトイレに日本地図が今でも貼ってあるんですけど、旅行の道中は地図を片手に今どこらへんにいるのか確認したり、見たことある地名を見つけて嬉しくなったりしていました。
ーー乗り物の中でも今研究されている航空について特に興味があったとか。
いえ、乗り物全般好きだったんですけど、高専に入ってから航空に興味が湧いていった感じですね。
高専に入ってから寮の仲間と鳥人間サークルを立ち上げようと模索したこともありました。
許可は得られず、大会にも出場できなかったんですけど。
反抗心から家出
ーー家族仲が良いんですね。ご両親は宿題をしない修也さんを叱ったりはしなかったんですか?
もちろん叱られましたよ(笑)。中学の時に反抗して家出したことがあります。
口では敵わないと思って。お手伝いなどでコツコツ貯めたお金で私鉄の三日間乗り放題チケットを買って、住んでいた南大阪から兵庫県の姫路まで行きました。
でもこの次の日がまたちょうど家族旅行を計画していたんですけど、家出のせいで旅行に行けなくて。
これは、いまだに親にも言ってないかもしれないんですけど、旅行に行けない悔しさから残り二日分の私鉄乗り放題チケットで友達と京都へ旅行をしたりしていました。
「やりたいかどうか」が行動指針
ーー中学生からするとかなり遠出していますね。
そうですね、中学生なのに遠くに旅行なんてカッコいいという中二病のような理由なんですけど(笑)。
遠出といえば、自転車旅行もしてましたね。高専の友達とサイクリンググループを作って往復50kmくらいの中距離を走ったことが始まりで。
その頃にキャンプツーリングしている動画をYouTubeで見て、ボーイスカウトの経験とサイクリンググループでの経験があったのでそれならできそう! と動画を見てすぐ出発しました。
一回目は自宅から別府温泉まで片道で7日間ほど、二回目は奈良から秋田まで片道10日間ほどでした。
ーーキャンプツーリングのどんなところが魅力なんですか?
うーん。ただ、やりたいからしてただけなんですよね。気になったらやってみたいという気持ちだけです。
そう思うと、宿題をやらなかったことと本質は同じかもしれませんね。やりたいことをただやっていただけなんですよね。
ーーやりたいことだけする。そうなったのは何か家庭環境などの影響があったのでしょうか?
いや、家族から影響を受けていたのかは分からないです。そういえば、まだ3〜4歳くらいの幼稚園に入る前、父とお風呂に入っている時に宇宙の話とかの雑談をいつもしていたことは今でも覚えていますね。「あれは何?どういうこと?何でそうなったの?」って質問に父が答えてくれるというのをずっとしていました。
でもある日なぜか分からないんですけど、パタっと質問しなくなったんですよね。
母は中学校を卒業するまでずっと専業主婦で、ずっと一緒にいたので母から何か影響を受けたのかどうか分からないですね。もっと年月が経って、よくよく考えてみたらルーツは母親だったってことはあるかもしれないですね。
夢中になれる趣味があったから、腐らずに済んだ
ーー修也さんのこれからについて教えていただけますか。
博士課程には進まず、就職を考えています。工学系は修士号をとっていれば、就職はきっと問題ないはずなので。そろそろ稼がないとっていう思いもあったし、博士号を取ってから就職するよりも効率的だと思って。
ゼロからモノ作りをするのが好きで、システムなどの開発ができる企業へ就職したいと考えてます。
航空関係も好きなんですけど、大学の先生の言葉が印象に残っていて、
「自分の好きなことと、できることをどっちもやろうとすると間口が閉まる」
どちらかにフォーカスする必要があるんだなって。
ーー実は、うちの息子も宿題をしなくて。うちの息子と同じような子にはどんな言葉をかけますか?
これは、自分が体験して救われたことなんですけど、趣味はなんでもいいから持っておいた方がいい。本気で夢中になれる趣味を見つけて「これを食い口にする!」くらいのものがあれば、例えそれ以外の仕事に就いたとしても、本気になった体験はいずれ何かに繋がるかもしれない。
大学には一浪して入ったんですけど、浪人生活が始まってから半年くらいは結構暇になってしまうんです。僕はその間ひたすら絵を描いていました。お絵描きの趣味がなければ、進学も諦めて腐っていたかもしれません。
ー
インタビュー後、修也さんのお母様の西田先生にも少しお話を伺いました。
おばあちゃん家まで片道5分の道のりを、雨の中、カッパを着せて好きなだけ水たまりで遊ばせて45分かかったり、小さい頃はとにかくやりたいようにやらせてあげていたとのこと。それを聞いて、修也さんがなぜこんなにも好きなことに正直に突き進めたのか理解できました。
しかし、宿題をせずに好きな事をやり続ける子どもに付き添い、見守る勇気が持てるでしょうか。正しい子育てなんて無いのですが、子は親の所有物ではなく一人の人間として扱うことで自分で道を切り開いていけるのかもしれません。
修也さんが家族旅行で将来やりたいことを見つけたように、子どもにはいろんな体験を与えることが唯一親にできることなのかもしれません。
一緒に満天の星空に感動したり、一緒に汗を流して山に登ったり、一緒に絵本を読んで笑ったり。
そして、子どものことをもっと信じてみよう。修也さんがお金を握りしめて家を飛び出した背中を想像しながら、そんなことを思いました。
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