文章には真意が隠されている
心の奥底に潜む自分の本当の気持ちは、文章に表れる。
岡田斗司夫さんのYouTubeに、視聴者さんからのお悩みに答える人気企画がある。
岡田さんは少年のお便りに書いてある文章から少年の真意を探る。
ご本人も仰っていたが、少年とはもちろん面識も無ければそのお便りが初めましてなので、完全に少年の気持ちが分かっている訳ではない。
岡田さんは少年の文章から「逃げだと思うよ」と結論から説明に入る。
文中の” ペンを取る” ”心を染めています” のところを見ると、どうやらこの悩みについて質問した少年は、この悩みが嫌ではない。表現に酔っている状態だと解釈されている。
京大法学部に行くことはあくまで「プロセス」、アニメ業界に行きたいのは「ゴール」。
「京大法学部に行ってから、アニメ業界に行けばいい」という答えをポンっと言ってしまうことは、きっと少年は望んでいない ということも見通している。
問題はなぜプロセスである京都法学部に行ってからゴールであるアニメ業界で働けばいいという考えに至らなかったかという点が「逃げ」だと話している。
運と才能が必要なアニメ業界よりも毎日の努力次第でいけるかもしれない法学部。
アニメ業界で失敗しても「運がなかったから」「才能がなかったから」で済んでしまう。一方で京大法学部は自分の努力が足りなかったことが証明されてしまう。
つまり、これ以上努力できない、勉強が辛いと少年は気づいていて忘れていた過去の憧れの職業をわざわざ引っ張り出してきて、逃げたくて無理やり対立関係に持ってきてしまっているだけだと。
解決策は、すぐにアニメ業界に入るのはリスクが高いので、目指す大学をランクダウンして、ある程度社会経験をしてお金を貯めてからアニメ業界に入る方法などをあげていた。
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私も高校2年生の時、大学へは進学せず写真の専門学校に行くと決め込んでいた。この時、私は両親から「大学行ってサークルでやってみたら?写真サークルとか絶対あるからとりあえず大学には行きなさい」と長期間に渡り説得されていました。
岡田さんに相談した少年のような文才はないにしろ、それっぽい夢を語り「自分には人とは違うこんな夢がある」「大学で何も勉強したいことなんてない」と大学生になってからでもいくらでも写真を勉強する道だってあったはずなのに、私は受験勉強がしたくない言い訳として「夢」を語った。
もちろん、写真の道に進みたかったのは嘘では無いし、その時は本気でその道に行きたいと思っていた。
しかし、私は入学したもののその道へは進んでいない。岡田さんが少年に言ったように ”運がなかった” ”才能がなかった” で片付けてしまったのだ。
私は思えばもっと昔から比べなくてもいい悩みを引っ張り出し、逃げるために無理やり対立関係においていたのかもしれない。
恋人と別れる時も ”傷つけたくないから” などと言っては都合のいい言葉を並べてみたり。
岡田さんの鋭い考察により、私には少年の心の奥底が見えたような気がした。自分も過去同じように ”逃げ” るために間違った選択をしてしまったことが何度もある。そう、何度も。
今となっては、間違いも経験として肯定的に捉えることもできる。
あの時大学へ進学していたら? 今の旦那と元サヤにならなければ?
など自分が選択した道に、ケチをつけたり後悔することはしたくはない。それがきっと1mmでもズレていると今の私では無い気がするから。
文章に残すことで、今の感情や心の奥底に居る自分を客観視できる。
あの時、だからその道を選んだんだね。そうかそうか。と、noteをまた読み返したときに「だけど今はここにいるよ」って笑顔で教えてくれる日が来ると願って今日もまた文章を書く。
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