江戸川乱歩『日記帳』考察③
江戸川乱歩『日記帳』に関する考察を綴ってます。
いきなりこちらを開いた方は、先に①②からお読みください。
今回は、前回に引き続き、兄に関する考察を綴ります。
今回で、本作への考察は終わりです。
■兄が知りたかったこと
雪枝からの葉書に貼られた切手は、最初から最後まで、ひとつの例外もなく、一貫して斜めに貼られています。
これを見たとき、兄は「雪枝も、弟に恋をしていた」ということを認めざるを得なくなります。
兄は、このとき初めて「何も知らずにいればよかった」と激しく後悔します。
弟の真意を暴こうとしていたときには、一度も後悔なんかしてないのに。
そして、それ以上の探索は行いません。
弟の立場からあれこれ考えた末に、今度は茫然と動かずにいるのではなく、気も狂わんばかりの苦しみを抱えて、書斎を飛び出すのです。
つまり、兄が探していたのは、「弟は雪枝にフラれた」「雪枝は兄を選んだ」という証拠だったのだと思います。
その証拠さえ得られたなら、そのとき兄は心から安心して、その後ようやく、弟の死を哀れみながら、書斎を出ることができたのではないか、という気がするのです。
■兄が知りたくないこと
しかし、兄は、自分の知りたかったこととは、真逆のことを、知ってしまいました。
「雪枝も、弟に恋をしていた」
しかし最早、知らなかった頃には戻れません。
すると兄は、「ふたりは、お互い相手の気持ちには気づかなかった」と決めつけようとします。それに相応しい根拠だけを目に留めて。
そして、書斎を飛び出し、それ以上は推理を進めようとしません。
「好奇心旺盛な」「探偵よろしく真実を突き止めないではいられない性質」のはずなのに。
ふたりは、相思相愛だった。そしてそれを、お互いに自覚していた。
これこそが、兄が絶対に知りたくないことなのです。
■兄はなぜ現実を認められないのか
しかしよく考えたら、兄と雪枝の婚約は、弟が死ぬ2ヵ月前です。
「元々兄の婚約者だった雪枝に、弟が懸想した」という順序ではありません。
それに、弟と雪枝は、ひっそりと葉書で思いを伝え合っていただけです。
それ以上の行動を起こした形跡はありません。
さらに言えば、弟はすでにもう、この世にはいません。
だったらこれはもう、しょうがないでしょうよ。
この小説の時代設定は、おそらく大正末期から昭和初期です。
当時は、「夫を亡くした妻が、夫の兄弟と再婚する」という話ですら、全然珍しくなかった時代なのです。
ましてや雪枝は、当時の価値観で言うところの「傷物」になったわけではない、若い未婚のお嬢さんです。
それでも、許せないものなんですかね、これ?
しかし兄は、ふたりが恋を実らせていたことを、決して認めません。
しかも「弟が雪枝に恋をしないはずがない」とは薄々思っていながらです。
必死で、弟が雪枝からフラれた確証を得ようとします。
しかし、雪枝も弟を好きだった事実が明らかになると、今度は、「それでもふたりの恋は叶わなかった」と思い込もうとします。
「弟は、片思いのまま失意の死を迎えた」「雪枝は、ずっと片思いの悲しみに苦しむ」とまで考えて、溜飲を下げようとするのです。
「利己的な感情」とありますから、多少自覚はあったのでしょうが。
以上のことから考えられるのは、こういうことです。
報われない恋に、もっとも苦しんでいたのは、おそらく初めから、弟でも雪枝でもなく、兄なのです。
そしてそれを、まっすぐ受け止めるのではなく、自分に都合良く誤魔化すことでしか、耐えることができない。
本来「内向的気質」で、「込み入った謎解きが好き」な、「プライドの高い」、「臆病な」「男らしくない」男は、むしろ兄の方なのです。
■片方の主張だけを鵜呑みにすることの危うさ
兄が、ごく平均的な性格の男性ならば、兄の語る内容を「なるほどねぇ、弟は臆病で子供っぽい男だったんだねえ」とそのまま受け止めても、さほど不都合はないのかもしれません。
しかし、兄自身が「ちょっと普通じゃないところのある男」だった場合、話の全体像が、がらりと変わってしまうことがあるのです。
後者である場合、例えば、兄の目には「臆病で言い出せない、卑怯さ」にしか見えない行動も、他の人なら「節度ある、若者らしい、ほほえましいやりとり」と感じるものだったかもしれないのです。
また、後に病死する弟の懊悩も、兄は「幼稚だ」とばっさり切り捨てていますが、兄以外の人が読めば、胸を打たれた可能性は、ゼロではないです。
■兄は、実は、突っ込みどころが多い
ところで。
兄と弟は、幾分か歳が離れているらしいことが窺えます。
弟の日記を読みながら「俺も若い頃はこうだった」なんて言うんです。
年の近い兄なら、弟に対してこんな言い方はしません。
かなり少なく見積もっても、5~6歳は離れているべきです。
大正末期から昭和初期の頃ならば、一回り以上離れていてもおかしくはありません。
さらに、弟に関して「男なら女に臆せず告白すべき」「恋のひとつもできなかったとは哀れな」などと言うからには、自分は年頃になったらちゃんと誰かに告白し、その恋を実らせたのに違いない。
そうに決まってますよねぇ。
しかし、それならなぜ、兄は、歳の離れた遠縁の雪枝と婚約するまで、独身だったんでしょうか?
異様な性癖はどっちだこの野郎。
憶測でそこまで言わなくても、と思われる方もいるかもしれませんが。
しかし、兄は言っているのです。
「自分も、切手を斜めに貼る暗号を応用して使ったことがある」と。
弟のことは「卑怯で男らしくない」なんて悪し様に熱弁しといて、じゃあ自分は、どういう男らしい理由で、切手の暗号を使ったんでしょうか。
それこそ、すぱっと相手に打ち明ければよかったんじゃん。
「自分が使う暗号は、推理好きの表れ」
「弟が使う暗号は、卑怯さの表れ」
って言ってることになるんですけど。
何だこれ。臆面もなく、よくこんなこと言えるな。
「こんな暗号、通じるわけがない」みたいに決めつけてもいますが。
これ、要するに、自分が切手の暗号の応用を用いた告白をしたとき、相手に受け止めてはもらえなかったんでしょうね。
過去に自分が似たようなことをしてフラれてるから、弟が上手くいってる可能性を想像できないんですよ、多分。
できない、というか、したくない、というか。
「弟はこれこれこういう心理状態で、葉書に暗号を仕込んだに違いない」という兄の主張は、あれ、全部、自分がやったときの気持ちだとしか、私には思えません。
あそこの一節だけ、やたら生々しいんだもん。
「兄だからわかる」のではなく、「自分がそうだから、似たようなことをやってる弟も、そういう風に見える」だけだと思う。
こんな状況で、この兄が、人並みに恋をし、婚約を機にその関係を清算した、とは、ちょっと考えにくいので、やっぱりずっと独りだったんだろうと思うんです。
異様な性癖は(略)
というわけで。
兄は、自分の欠点を、弟に投影する癖があるのだと思うのです。
兄が弟に下した評価は、細かく吟味したら、どれもこれも、兄自身の評価として成立するワードばかりなんですよね。
■私には、兄という男は、こう見える
自分より劣っているはずの弟が、雪枝と心を通じ合わせるのは許せない。
「プライドの高い男」だからです。
しかし、漠然と感じていたその不安を、弟が死んだ後でさえ、誰にも訊ねることはできなかった。
「臆病な気質」だからです。
かといって、自分の胸に収めて呑み込むこともできない。
「恋に不慣れな」ゆえに、ある種の処女崇拝をこじらせてるんでしょうか。
だから、四十九日も待たずに、初七日が過ぎて早々、弟の書斎を独りで漁る羽目になってるんです。実に「男らしくない」。
そして、持ち前の「推理癖」を発揮する。
しかし、できる限り自分に都合良く。
切手の謎に関する心理描写に関しては、先ほど書いたので割愛します。
「兄の弟評は、兄自身の投影なのでは」と私が考えた理由が、多少は伝わったでしょうか。
「自分より弟に心を奪われていたなんてつらい」という気持ち自体は、多少は理解できなくもないですけどね。
でも、重ねて言いますが、数ヶ月前とはいえ、一応は婚約前の、淡いプラトニックな話ですよ?
ここは、成熟した大人の男なら、弟の分までふたりで生きよう、くらいのことは、いろいろ目をつぶってでも言うべきところです。
兄にも雪枝にも、長い時間があるんですから。
それを、墓荒らしのような真似をした挙げ句に、気も狂わんばかりに苦しむ、って。
弟は思い出だけを胸に、黙って死んでいったのに。
というわけで、こんなふうに見えてしまうと、兄が言うところの「取り返しがつかない婚約」という語句の意味も、かなり違うものに見えそうで、私は少々困惑してしまいます。
心が優しい人が聞けば「弟を傷つけてしまうことになった婚約」という意味に受け取ってくれるかもしれませんが。
私が聞くと「一度でも他の男に心を許した女との婚約は、そんなに耐えられないのかよ」という感想になってしまうんですよね。
精々、風邪引くまで、外で頭を冷やしなさい。
■まとめ
以下が、『日記帳』の「私にとっての真実」です。
・弟と雪枝は、密かに心を通じ合わせていた。
・弟の死が確定したので、ふたりは秘密の恋を隠し通すことに決めた。
・兄がそれを、中途半端に暴いた。しかもそれを都合良く解釈した。
・兄は、雪枝の恋を、過去の、秘密のものでも、許せない。
・本当にプライドが高い陰キャは、むしろ兄の方。
私にとっては、いろんな意味で、生々しい物語でした。
読んで良かったです。
こういう重層的な物語は、私の好物です。
■余談
作中の、宇野浩二の「二人の青木愛三郎」という小説は、架空のものではなく、実在します。
Wikipediaの記述によると、そのストーリーは、以下のようなものです。
密かに同性愛的な関係を持つに至った幼なじみの二人の男のうち、一人が先に作家として名が売れ、あらゆる幸運を手にします。その後、くすぶっていたもう一人が、成功者となった幼なじみの振りをして各地で接待を受けようとしたことが発覚します。
江戸川乱歩は、この小説に対して、好意的な評価をしていたようです。
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