無門関第九則「大通智勝」①

 無門関第九則「大通智勝」について、綴ります。
 現代語訳はこちら。

 今までの公案の内容は、何をどう考えていいのか全くとっかかりが掴めないという難しさでした。
 今回の公案の内容は、むしろ、いろんな着想の切欠になりやすくて、どの方向で考えようか迷う。そんな難しさを感じています。
 でも、折角ですから、無門の意図をくみ取ろうとしてみます。

 今までの感じだと、公案のヒントは、直前までの公案の内容にあることが多かったので、第八則までを念頭に置きながら考えます。


 私はこの公案を全くの予備知識の無い状態で読んだとき、大通智勝はてっきり偉いお坊さんのことなのだと思いました。
 でも、そうじゃないんですね。
 大通智勝は、如来です。
 それを知って、軽く混乱しました。

 てっきり、お坊さんが、修行で座禅してたんだと思ってたのに。
 如来?
 じゃあ、どうして、座禅し続けてるのだろう?
 十劫という、気が遠くなるほどの、長い時間。

 清譲が言うように、「仏にならないから」とでも思うしかない話です。
 でも、なぜ。


 ここで、第八則を少し振り返ります。

 奚仲は、初めて車を造った人です。
 つまり、この時点では、奚仲が車の作り方を丁寧に誰かに教えない限り、車は、奚仲にしか、造れません。

 さて。あなたが当時の中国の庶民だったとします。
 そんなあなたの目の前に、車の完成品、そして、材料があるとします。
 そして、完成された車だけを見ながら材料から正しく車を造れと、量産を命令されました。
 設計図? ありません。
 完成品を分解したい? ダメに決まってんでしょ。貴重品なんだから壊したら牢屋に入れられますよ。

 あなたは、車を、完成させられると思いますか?
 もう一度言いますが、正確な作り方は奚仲しか知りません。

「えー難しくないじゃんあんなの。総当たりの試行錯誤で全然いけるっしょ」などと思ったあなた。
 それはあなたが現代人だからそう思うだけです。
 ピンとこなければ、例えば「二輪馬車」を「ハイブリッド自動車」とでも置換えましょうか?
「あ、無理だわ」って、絶対思うでしょ。
 たとえ部品が揃っていても、目の前に完成品があったとしても、設計図と手順書がなければ、絶対に無理だと思うはずです。
「できるよ!」などと混ぜっ返すトヨタの技術者は、代わりに「スイス時計」とでも置換えて考えてください。「スペースシャトル」でも「人工衛星」でも何でもいいです。

 材料から、手順書など見なくても車を造り上げるのは、素人にはまず無理だと思うのです。
 それを奚仲が簡単にできるのは、奚仲が「車を造ることが出来る人」だからです。

 素人が、車を造れるようになりたいのなら。
 奚仲に、言葉で教えてもらい、そして、実際の手順を目の前でやってもらって、造り方を知り、身につけるのが、いちばん良いです。
 奚仲に作り方マニュアルを書いてもらうのもいいですね。

 では、今回の公案に話を戻します。

 目の前に、仏道を完成させた人がいるとします。
 自分も、ああなりたいなと、思ったとします。
 自分は、凡人です。
 また、身近には、自分と同じ凡人が、いっぱいいます。

 これは、第八則でいうと、「完成された車と、その材料、目の前に、この2つしかない」という状態です。
 その中間の図と、設計書がないのです。
 つまり、「凡人」が修行のスタート、「悟った人」が修行の1つのゴールだとすると、「そこに至る道筋のルート案内がない」ということになります。

 つまりこの状態では、悟りに至るのが非常に難しいです。
 ぶっつけで車が作れないのと同じです。

 こう考えると、大通智勝が座禅をし続けた理由が、なんとなくわかるような気がしてくるのです。

 大通智勝が、座禅を続けるのは、自分の仏道完成のためではないのです。
 そもそも大通智勝の本質は、如来なんですから。
 もうすでに悟っている人が、悟りを目指す必要はありません。

 大通智勝は、凡人のために、仏道修行のやり方を、体現してくれている。
「こうするのが、いい方法だよ」と。
 手本、道しるべになってくれている。そんな気がするのです。

 この辺で一旦切ります。続きは次回に。

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