バラエティ番組のトーク台本が雑だった話

 80年代頃のお笑い番組の台本には、「○○コーナー:たけしのトークで客席爆笑」などという、たった1行のト書きが、平気で書かれていたそうである。出演者の実力次第で、番組の台本がペラ紙一枚に収まることも珍しくはなかったらしい。
 まあ、こんな無茶な台本をあっさりクリアできるのは、一握りの天才だけであって、それに加えてコンプライアンスに何かと厳しい昨今は、ほぼすべての発言内容が、台本にきっちり書かれているのが普通である。らしい。知らんけど。

 で、今回語る、「雑な台本」というのは、この「結果だけ指定して後は丸投げ」的なト書きのことではない。
「細かいはずの仕事の仕上がりが、なぜか雑」という話である。


 番組名は伏せた方がいいのだろうか。
 それは、令和と昭和の比較型の、よくある昭和懐古番組だった。
 若い頃「新人類」などと呼ばれ、親や上司から「まともな話が通じない」「全然仕事ができない」「隙あらばサボりやがる」「遊ぶことしか考えてない」と嘆かれまくっていたバブル世代が今や60代以上。好景気を甘受しつくして高齢者と呼ばれる歳になり、こんな番組を見ながら「昔は良かった」なんてなことを、自分たちの親や祖父母の真似して言うわけである。「ちょい上の世代の真似が楽しい」のは、赤ちゃんの頃から死ぬまで消えない、人間の本能なのであろう。
 だから、今、そんなジジババを「老害」とか言って悦に入ってる若者諸君、君らも30年後には、必ずああなるのだよ。お互い優しくしあいたいものである。
 それはともかく。

 番組の中で、令和と昭和の比較のひとつとして、「写真撮影」が挙げられた。
 現在は、写真は、スマホで撮るのが主流になった。
 自撮りのための機能もスマホに搭載され、以前に比べると格段に手軽で便利になっている。

 では、昭和の頃はどうだったかというと、当然スマホなんかなかったし、デジカメですら一般に普及してはおらず、みな、フィルムカメラを使って撮影していた。
 24枚撮れるフィルムを、カメラにセットして、撮影。
 24枚分撮り終わったら、中のフィルムを取り出して写真屋に持ち込み、現像を依頼する。
 ピントや露光を自分で設定する本格的なカメラもあれば、オートフォーカス機能がついた手軽なカメラもあったが、いずれにせよ、フィルムの取り付け取り外しの手間はかかった。
 なので、「写ルンです」という、パッケージを開けたらシャッターボタンを押すだけで撮影が可能な「レンズ付きフィルム」の登場は衝撃的で、その手軽さから爆発的な大ヒットとなった。観光地では、写ルンですのフィルムを巻き上げる「カリカリカリ」という音がそこかしこで聞こえたものである。

 では、そろそろ本題。
 スタジオのタレントのひとりが、こんな質問をした。
「自撮りの時は、どうしてたんですかぁ?」
 別のタレントが、反応した。
「あー。確かに。難しそうですよね。撮り直しも出来ないんだし」
 二人とも、20代くらいの若いタレントだった。

 これに、40代前半の、司会を担当していたタレントが、答えた。
「そうなんですよねぇ。だからねえ、自撮りするでしょ、そして、現像に出したら、戻ってきた写真に、顔が半分しか写ってない、とかね、よくありましたよ」
 顔が半分だけ写った写真のイラストが画面に差し込まれる。
 スタジオは納得の空気感でひと笑い。

 断言しよう。この司会者のコメントに対して。
「あーそうなんだ。ははははは」という反応になる視聴者は30代以下。
「は? 何言ってんのお前?」という反応になる視聴者は40代以上である。

 よくありましたよ、って、あるかボケ。

 以前は、よほど特殊な事情がない限り、カメラを自分で持ったまま自分に向けて構えている人なんか、いなかった。
 少なくとも日本国内では、「ここで自分の写真を撮りたいな」と思ったら、その場に居合わせた人に、それがたとえ見ず知らずの通行人であってもお構いなしで、「すみません、シャッターを押していただけませんか?」と頼み、カメラを渡すのが普通だったのだ。
 頼まれた方も、よほど急いでいるのでない限り、あっさりと引き受けるのが普通だった。
 だから当時は「オレは独り者なのに、新婚カップルに頼まれて癪だったから、彼氏の方をはみ出るように写してやった」「ひでぇなあ」などというのが、ギャグとして成立した。
 あるいは、「写ルンです」ではないきちんとしたカメラには、大抵セルフタイマー機能が搭載されていたので、三脚を組み立てるか、ある程度の高さの塀などの上に置くなどして、「えいっ」とセルフタイマーを作動させてから、急いで画角内に走って行く、というのも、これまたよくある光景だった。

 いずれにしても、昭和の頃は、というより、平成初期までは、「自撮り」などという概念そのものが存在しなかったのである。

 私は、「ああ、バラエティは、バラエティというタイトルのドラマなのだなあ」と、「サンタさんは、お父さんなんだ」と知った子供のように、しんみりとした気持ちで、またひとつ、大人の階段を上ったのであった。
 大喜利はガチか台本か、なんて話をしていたのが遠い昔のようだ。
 この番組の台本を書いた放送作家は、20代から30代くらいの、若い駆け出しだったのだろうか。誰か教えてやれよ。

 メディアには、いつ何時、嘘が混ざるか判らない。
 よくよく注意が必要である。
 決して、何でもかんでも鵜呑みにしてはいけない。
 そういう意味では、自分よりも上や下の、違う世代との交流も、きちんと保ち続ける努力が、必要なのかも知れない。そうすれば、いろんなことに気づきやすくなる。
 みんな、仲良くしましょう。

 というわけで、テレビ業界の皆様へ。
 台本を作るなとは言いませんから、せめて時代考証は、誰かがちゃんと行ってください。
 私は寝ている間にパラレルワールドに来てしまったのかしらと、不安になってしまいます。
 ボケを出すなら、ちゃんと突っ込みをその場に用意してください。
 普通の話のトーンでボケを混ぜっぱなしにするという高度な笑いは、私のような頑固者には難しすぎます。
 切に、よろしくお願いします。

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