無門関第四十一則「達磨安心」

 無門関第四十一則「達磨安心」について、綴ります。
 公案の現代語訳は、こちら。

「人は幸福を知ったときに、己の不幸を知る」という言葉がありまして。
 誰の言葉か、といわれたら、まあ私なんですけど。

 例えばね、貧乏がつらいわけじゃないんですよ。
 こう言うと、「何言ってんだ貧乏はつらいだろ」と思うかも知れませんけどね、「みんな一人残らず一生貧乏のまま」ならば案外気楽に暮らせるものですよ。
 貧乏がつらくなるのは、「他人は貧乏じゃないのに、自分は貧乏」である場合です。その他人には「過去の自分」も含まれる場合があります。
 逆もあるでしょうね。
 人は他の不幸を見たとき、己の幸福を知る。

 絶対的な安心の境地が、あるらしいと、教えられたその瞬間から、人は自分の不安な境地がつらくてたまらなくなるのでしょう。
 これはなんとかしたい。
 そう思ったら、悟りの境地を必死になって目指すんでしょう。
 それこそ文字通り命を賭けて。

 そして何もかもを捧げて修行に明け暮れた結果、「どうすれば安心できるんだろうなどと追い求めずにすむ境地こそが安心の境地だよ」などと言われたりするわけですよね。
 だったら、思い返せば、最初の最初はそうだったのにな、と、乾いた笑いの一つも漏れるところ。

 達磨が中国にきたとき、すでに100歳を超えていたとされています。
 そして中国に禅を伝え、最終的には二祖に法を継がせたんですけど。
 達磨が勿体ぶったせいで二祖は片腕を切るところまで追い詰められたんでしょ。
 健康そのものの片腕ぶった切らせてようやく授けた教えが「ないものを探すな」じゃねぇ。これ割に合うのかなと、私ちょっとひるんでしまいます。
 人間はプラナリアじゃないんですよ。もげた腕はもう生えないのに。もったいない。
 まあ、うるせぇオレは手足全部なくしてんだぞって言われたら、黙るしかないんですけど。

 でも、じゃあ、いっそ、達磨に教えを請うのは諦めて、最初から何も学ばず何もしないままの方がマシだったのかというと、決してそんなことはないだろうとも思います。
 安心のありがたみは、一度不安を経験し理解した後のほうが、より強く感じるものです。
 安心と不安はセットだという側面もあるという気がしています。
 光と影のように、分かちがたい関係なのです。

 エアコンの効いた部屋でぼーっと飲む名水より、2~3日砂漠を彷徨い、からからに乾ききった後、見つけたオアシスで飲む涌き水の方が、同じH2Oであっても、多分何倍も美味です。
 たとえ多少濁った水であっても、心底ありがたみが身にしみるでしょう。

 達磨め、風のない処に波を起こしやがって、という見方もあるでしょう。
 無門は本気では言ってなさそうですけど、本気でそう思う人もいるでしょうし、それは人それぞれの自由。
 ただ、波が起った後の凪は、とてもありがたく感じられるだろうと思います。

 さて、片腕になった二祖は、不便だなとは思ったかも知れませんが、案外、不安だなとは思わなくなったんじゃないかという気もします。

 切るときは、思い詰めて勢いに任せてやってしまったところもあるのでしょうが、それでもそのとき、腕を失うことへの不安が、全くなかったはずはなかろうと思うのです。
 しかし、その後、隻腕で暮らしていくうちに、以前感じていたような不安は薄れていった。そしてそれは、かつて自分が想像していたよりは遙かに、さっぱりした境地だったのかもしれないという気もするのです。
 オレ、失った腕のこと、思ったよりくよくよしてないなあ、みたいな。
 私は、想像するだけですけど。

 多くの不安は、経験したことがないマイナスを想像することから生まれます。それを解消するのにいちばん確実なのは「実際にそのマイナスらしき状況を体験してみる」なのでしょうかね。
 他にもいろいろな方法があるのかもしれません。

 不安と不便と不幸は、全部違うものです。
 たまたま同じ形をしていることもありますが、きっと、同じものではないのだと思います。
 一見「割に合わねえだろ」と思える片腕の喪失も、二祖にとっては重要で必要な経験だったのかも知れません。

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