無門関第十三則「徳山托鉢」①
無門関第十三則「徳山托鉢」について、綴ります。
公案の現代語訳は、こちら。
無門が「ひとつひとつ点検していけ」と言うので、そうします。
長文になるかと思います。
事の起こりは、徳山が、食事の時間を知らせる鐘が鳴る前に、お堂を出たことです。「托鉢」という単語が原文にあるので、食堂に向かったということでしょう。
禅寺での僧侶の生活はとても規則正しく、一日のスケジュールやその作法も細かく決まっています。
なので、「時間の前に食堂に向かう」というのは、かなり珍しい行動だったろうと思います。
その時間が、普段の食事の時間と、どの程度ズレていたのかはわかりません。
しかし、規則正しい生活を送っているのなら、「このときだけ急にお腹がすいた」ということはちょっと考えにくいので、時間にさほどの誤差はなかったろうとも思います。
そういうわけで、「目覚ましが鳴る寸前に、目が覚めた」に近い印象を、私は受けました。
規則正しい生活で、体内リズムができた。
時間はもはや、外ではなく、徳山の中にある。
無門が言う、「最初の句」というのは、これではないかという気が私はしています。
外から与えられていた「時間」という戒律が、自分の血肉になった。
だから「そろそろ食事だな」と感じ取り、食堂に向かった。
そういうことのように思えるのです。
さて。ここで、弟子の雪峰に見られ、訊ねられます。
「老師。食事の時間を知らせる音はなってないのに、食器を持ってどこに行かれるのですか?」
さあ、徳山は、これにどう答えるか。
先程の境地に自信があれば、徳山は、何か気の利いた言葉や行動で、これに答えるような気もします。
「わが身は天地とひとつ」くらいのことを言っとけば、何かカッコいいじゃないですか。カッコいいとか思ってるようじゃダメですかね。
でも、徳山は、黙って自分の部屋に引き返します。
何か言葉を返すでもなく、ぶっ叩くでもなく、黙って引き返した。
これもまた、これまでの徳山からすると、少々珍しい反応のような気もします。
雪峰は、この一連のエピソードを、巖頭に話します。
これ、どういうつもりで話したのかは、想像するしかないんですが。
でも、少なくとも「老師をやりこめてやったぜ」ではないと思うんです。
寧ろ逆で、少しでも教えを請いたくて、切欠は一つでも逃すまいと、懸命だったんじゃないかという印象を受けます。
この辺に関しては、現代語訳の注記に書いてあります。
それで。
そんな雪峰なら、このエピソードのことも、すごく真面目に考えちゃったんだろうと思うのです。
「どうして、老師は、私に何も答えてくれなかったんだろう」
「いや、もしかしたら、黙って帰ったこと自体が、何かの答えだったのかもしれない。ならばあの老師の一連の行動には、深い意味があるはずだ」
そう考えて、真剣に考えて、やっぱり解らなかった。
だから、巖頭に、相談したんじゃないか、という気がするのです。
「お前は、どう思う?」と。
二人は、仲がよかったらしいんです。
では、それに対して、巖頭は、なんと返答したのか。
巖頭の返答は、こうでした。
「いずれにしろ、徳山は、末期の句を会しておられないのだろう」
雪峰が「老漢」すなわち「老師」と呼んでいるのに、巖頭は「徳山」と呼び捨てています。
意訳じゃないです。原文でそうなってます。
「いずれにしろ」と私が訳したところは、原文では「大小」と書かれています。「多かれ少なかれ」みたいな意味の単語でしょうが、ここでは「大悟にしても、小悟にしても、いずれにしても」という意味だと思います。
というわけで、悩む雪峰に対する巖頭の答えは、ざっくり意訳すると、
「あいつ、何て答えていいか、解らなかったんじゃないっすか?」
こんな感じじゃないでしょうか。
徳山の悟りが実際はどうだったのかは、ひとまず置いておくとして。
巖頭は何故そんなことを言ったのか。
雪峰は、これまでの経緯から、多分、自分に全然自信がないのです。
「悟りから遠い境地に居る」ということが、雪峰にとって、とても大きなコンプレックスになっている可能性があります。
とても真面目な性格の人が、こういう悩み方をしている状況で、何か自分が理解出来ない事例に遭遇したとき、「自分は悪くない」とはなかなか思えません。
大抵、「解らない自分が未熟なのだ」と考えます。
そして、真正面から大真面目に受け止めてしまいます。
でも、禅の世界では、この手の真面目さは、ときどき邪魔になるような気がするのです。
いつまでも、自分の外に手本や戒律を求め続けていては、多分、悟りに至れません。いつかは、自分が自分の主人になる必要があるのです。
だから、巖頭は、ああいう返答をしたんじゃないかと思います。
「やりこめちゃったんじゃない? 雪峰さん、やるじゃないですか」と。
多分巖頭は、生真面目な雪峰の自信のなさをどうにかしたくて、それで、ああ言ったんじゃないかという気がするのです。
しかし、この一連の会話が、徳山の耳に入ってしまいます。
何故そんなことになるのか。誰だチクった奴は。
一つ考えられるのは、雪峰が、この後、他の僧侶にも同じように相談をして、その流れで「巖頭はこんな風に言ってたんだけど」と口にしてしまい、それを聞いた僧侶が、徳山に「巖頭がこんなこと言ってたそうです」と話してしまった、というケースです。
これがいちばんありそうな流れじゃないでしょうかね。
そんなこんなで、この話が徳山の知るところとなります。
その後のことは、次回に。
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