無門関第十八則「洞山三斤」

 無門関第十八則「洞山三斤」について、綴ります。
 公案の現代語訳は、こちら。

「麻三斤である」という言葉の意味は、何となくわかります。
 三斤の麻布を縫い合わせると、ちょうど衣服一着になり、身に纏うことができる。
 三蔵の経典は、身に纏うべき仏法の衣の元となる麻のようなもの。
 上手いこと言うね、という感じです。

 しかし、洞山のすごさは、勿論このワードチョイスもですが、それと同時に、「一言で突き放した」ことにもあるんだろうという気もしてます。

「あなたにとって、○○とは」
 こんな質問をする人、いるでしょう。
 インタビュアーが、インタビューの締めくくりとして、気の利いた質問のつもりで投げかけるシーンをよく見かけます。
 でもこれ、された側はちょっと困っちゃうんじゃないかと思うんですよ。

 ひとことで言い切れるわけないんだもん。
 その世界のことを深く知るほど、端的に表すのは難しくなりますからね。

 で、洞山は、「麻三斤である」とだけ答えました。
 そして、これに対する理解を完全に相手に委ねた。
 解ってもらいたいと思ったら、つい言葉を増やしたくなるものなのですが、洞山は、満腹の牛の頭を押さえつけて草を食べさせようとする野暮はしない人なんでしょうね。
 雲門に危うく60発ぶっ叩かれるところだった人だとは思えない変貌振りです。

 ところで、この答え方のいいところは、「麻」という、全然特別でも貴重でも何でもない、日常にある品を選んだ点にもあるように感じます。
 苦労して得たもののことは誇りたくなるのが人情だと思うんですけど、その価値を誇示するでもなく、卑下するでもなく、そのまま素朴に表現しようとした。
 その気になれば、誰でも得られる。
 丈夫で長持ちする。いろんなシーンで使える。いいものだよと。

 いろんな意味で、実に上手い答え方だなと、感じます。
 そして、いちいちこんなことを書いている私は、実に野暮だなと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?