無門関第二十二則「迦葉刹竿」

 無門関第二十二則「迦葉刹竿」について、綴ります。
 公案の現代語訳は、こちら。

 一言で言えということですけども。

 タイトルをつけるなら、
「ショートコント」。
 あるいは「第六則のあとがき漫画」。

 シメに何か一言ということなら、
「だめだこりゃ(いかりや長介)」←ドリフ大爆笑
「いい加減にしろ」←漫才調
 て感じでどうでしょうかね。
 お釈迦さまに二人ともスパーンとツッコんでもらえれば上手くオチがつくんじゃないですか。
 何でもいいんだと思うんですけどね。

 つまりこれ、多分、真正面から真面目に読んじゃダメな話ですよ。
 これは、コメディです。

 まず前提として、第六則の内容を頭に入れておく必要はあります。
 第六則の考察についてはこちら。

 第六則のポイントは、「伝えた」というのは釈迦の方便にすぎない、という点です。
 それを踏まえて。

 阿難「迦葉さん。お釈迦様が『伝えた』って言ってたじゃないですか。
    何を伝えられたんですか?」(キラキラした目)
 迦葉「…阿難」(額にちびまるこのような縦線。お前マジかという顔)
 阿難「はいっ?」(にぱー。キラキラ目)
 迦葉「…。表の旗竿、さげといて…。」(頭を抱えながら)

 あるいは、こうかも知れない。

 阿難「迦葉さん。お釈迦様が『伝えた』って言ってたじゃないですか。
    何を伝えられたんですか?」(ニヤニヤした顔)
 迦葉「阿難!」
   (わかってるくせに先輩をイジるなというツッコミ調)
 阿難「はいっ!」
   (まってました先生と言わんばかりの表情と動きによるイジり)
 迦葉「…。ちょっと! 表の旗竿、さげといて!」
   (大先生イジりへの恥ずかしさにいたたまれないという演技)

 いずれにしても、コントでしょこれ。

 多分この後、「えーどうしてですか?」と言う阿難に、前者の演出プランだと「これから弟子とったらこんなのがいっぱいくるの?」と頭を抱える迦葉のシーンが続く。
 後者の演出プランなら、迦葉にストレートに「お前みてぇな弟子が来たら大変だからだよ!」とでも言わせときます。

 だめだこりゃ。
 脳内再生は、くりぃむしちゅーの有田と上田でどうでしょうか。

 第六則とワンセットで読んだら見えてくる、春の日のような、のどかで楽しいワンシーンです。
 ピリピリした修行のシーンじゃないんだと思います。
「あ、『伝えられた』わけじゃないんだな」と、第六則で思えなかった場合は、ここでそう感じられる仕組みになってるのかなとも思います。

 頌でそこそこキツい表現がされてますけど、「どうしようもねぇなこの兄弟弟子(笑)」くらいの感じだと思うんですよ。
「幾人も固唾を呑んで見守っている」みたいな下りも、「うまいことオチがつくのを待ってる」と思えば腑におちるところ。

 で、オチですか。
「いい加減にしろ」でいいんじゃないですか。 
「話全体に対して一言感想をお願いします」ということなら、「マジうける」とでも言っとけばいいと思う。
 いずれにしろ、それで「あ、これ笑い話なんだ」と伝わるでしょう。

 これで足りなきゃ、こんなことも書いときますか?
「『いい加減』というのは、陰陽どちらにも偏ることのない絶妙の点のことであり、それは、呼んで答える、教え教えられる関係性が固定化されるものではなく、その都度形も位置も変わるものである。それは遙か昔の仏の伝えた禅の真理に通じるものであって(以下略)」

 我ながら野暮だねえ。バカバカしい。
「いつでもどんなものも、与えられた公案は、禅的に難しく考えねばならない」っていうのは、場合によってはちょっと窮屈な気がするんですよ。
 面白いものは、誰かに「笑って良し」と許可されなくても、さっさと笑い飛ばすのがいちばんいいと思うのです。
 十九則の南泉和尚なら、きっと同意してくれる。そう思いたい。

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