江戸川乱歩『日記帳』考察②

 江戸川乱歩『日記帳』に関する考察の続きです。
 前回はこちら。先に①を読んでいただけるとありがたいです。

 今回は、25日の雪枝の葉書を目にした弟の真意から、綴ります。


■私には、弟という男は、こう見える

 弟の病は、おそらく、当時の不治の病です。
 診断確定後、僅か数ヶ月で死亡したことや、自室に引きこもりがちだったことから考えると、急性の感染症だったのかもしれません。

 もしかしたら、葉書のやりとりをしている頃、弟には何かしらの症状が出ていたかもしれません。
 しかしそれでも、診断が確定する前は、まだ長い時間が残されていると、何とか信じていられた。むしろ、そう信じたかったでしょう。弟は半ば縋るように、暗号を用いた葉書のやりとりに日々を費やした。
 それによって生まれた葉書の束は、もしもその後ふたりが無事に結婚に至れたならば、懐かしく甘酸っぱい青春の思い出として、その後のふたりの長い人生を彩ったでしょう。

 しかし、弟に不治の病の診断が下ります。
 おそらくは、22日~24日のいずれかだろうと思います。
 明るい未来はもはや失われました。
 しかし、弟の最後の葉書に対して、その4日後、25日に、雪枝から最後の葉書が届きます。
 雪枝の真意は、「私の心も、かわらず貴方のもとにある」です。
 雪枝のことを愛している弟がそれを見たとき、何を思うのか。

 繊細な弟は、愛する雪枝が、自分との未来はないと知りながらも、変わらず思いを伝えてきたのを見て、こう思ったのではないかと、私は思ったのです。

「こんなことになるのなら、いっそ、こんな葉書を、送り合わなければ良かった。そうすれば、自分が死んでも、彼女はそれほど苦しまずに済んだかもしれないのに」
「せめて、僕に病の症状が出ていた段階で、送信を止めるべきだった。しかし、僕の弱さが、ついにここまで引き延ばした。彼女は僕への思いを育て上げてしまった。最早取り返しがつかない。きっと彼女を苦しめてしまう」

 なので「臆病だった」は、「告白できなかったこと」ではなく、むしろ「雪枝を突き放せなかったこと」を指すのではないか。
「失望」は、強いて言うならば、「自分の望みに反して、自分の死が雪枝を悲しませる」という予測に基づく言葉かも知れない。
 これが、25日の日記に対する、現段階での私の解釈です。

 さらに、雪枝を愛している、とても用心深い弟は、こんなことも考えたかもしれません。
「それでも彼女は、いつか誰かに嫁ぐことになる。そのとき彼女が、病に倒れた僕との関係を邪推されるような事態は、防がなければならない

 診断が下されたとき、弟は自分の死を現実として考えたでしょう。
 近々自分は死ぬ。しかしその後も、雪枝の人生は続く。
 繊細ではあっても決して愚鈍ではなかったに違いない弟は、その先のことまで思いを馳せたでしょう。

 そして、日記が誰かの目に触れる可能性を考えた。
 だから、25日の受信欄には、雪枝の名前は書かなかった。
 それ以前の雪枝の名前は、訂正の跡を残して怪しまれないよう、あえてそのまま残した。
 25日の日記の本文は、表向きは「恋心が実らない失望を記した」と読めるような文面、しかし実際は「思いが通じ合った」という意味の表現で、その切ない喜びを密かに記した。
 その後の日記には、雪枝に関する記述は一切しなかった。

 そして、雪枝からの葉書は、すべて白紙で大切に包み、手文庫のいちばん下にしまい込みます。
 片思いの未練ではなく、密かに成就した、最初で最後の恋の証として。

 弟はこのことを、誰にも明かしませんでした。
 本来誰の目にも触れないはずの日記にすら、綴ってはいません。
 自分と雪枝だけが知っていれば、もうそれでよかったのでしょう。

 兄は、手文庫のことを知っているようです。
 ならば、自分が死んだら、この手文庫ごと、棺に入れてくれるかもしれない。きっと、そうであって欲しい。
 弟は、そんなことを思いながら死んだんじゃないか、という気がするのです。
 葉書が誰の目にも触れずに灰になったら、その瞬間、弟と雪枝の恋の秘密は守られます。少なくとも、弟側から露見する可能性はなくなります。

 というわけで。
 私には、弟が、兄の言うようなコミュ障の陰キャだとは思えないのです。
 病弱ゆえの神経質さや繊細さはあったかもしれませんが、それでも、知的で、愛情深い、素敵な男性だったように感じるんです。

 雪枝が自分の兄に嫁ぐことを、弟がどの程度想定していたかはわかりません。
 しかしいずれにしろ、「兄なら僕の代わりに、雪枝を幸せにしてくれるだろう」くらいのことは、自分に言い聞かせながら死んだのではなかろうか。切ない。
 しかし、弟の最大の誤算は、兄がふたりの秘密を知ったら、気も狂わんばかりに苦しむような男だったことなのでしょう。


■兄は、何故、弟の日記を覗き見たのか

 兄は、しばしば弟を「異様な性癖」という言葉で表現します。
 身内の遠慮のなさを差し引いても、かなり手厳しい評価です。
 そして「あいつはそういうヤツだったから、きっと恋などできなかったはずだ」と口にしながら、しかし、弟の日記や書き付けを、片っ端から読み漁ります。
 弟が何より大切にしていた手文庫ですら、容赦なく開けています。

 ただの身内の私物に、そこまでするか?
「ふと目についたから」「ただの好奇心」「探偵趣味」などと言ってはいますが、とってつけた感が否めません。

 そもそも何で、弟の書斎に、夜に一人で入るの。
 例えば物品の整理なら、昼間のほうが効率がいいはずなのに。
 それに、数ヶ月の闘病の末に死んだ弟の日記帳をめくっていながら、「弟の苦悩」の記述は、中二病扱いで無視。
 病気で死んだ弟の苦悩ですよ? いつ頃の記述かにもよるかとは思いますけど、そこを差し引いてもちょっと情がなさ過ぎじゃないですかね。
 では何が気になるのかというと「弟は恋をしたのかどうか」ということ。このことだけを血眼になって探すのです。
 これ、身内の初七日が終わったばかりの人間が「たまたま好奇心で」やることでしょうか。

 というわけでこの兄、私には「最初から、弟の女性関係を調べにきた」「しかもそれは弟への情が動機ではない」ようにしか見えないんですよね。


■兄は何を探していたのか

 通り一遍の探し方では、弟の恋は明らかにはなりませんでした。
 もしも兄が、「弟に恋は無理」と本当に思っているのなら、そこで探索を終了できるはずなのです。
 恋に縁遠いとしか思えない身内の日記に、恋の記述がなかった。
 何ら不思議なことはありません。
「そりゃそうだよね」と思うほうが自然です。

 なのに、兄はそうは考えないわけです。
 弟の日記帳に雪枝の名前が登場しただけで「慄然」とし、「意気込んで」読み進め、しかし、そこに恋の記述がなければ「安心」しながらも「失望」します。
 そこで納得するかと思いきや、「手文庫の中になら何かあるかも」と尚も探し、葉書の束をみつけると「ああやっぱり」と思いながらそれを読むのです。

 これはむしろ、「弟は恋をしていたはずだ」と思ってる人の探し方です。

 そして、その意気込みは、弟が雪枝に恋をしていたことが明らかになるまで続くのですが、その際、「弟の死を悼む気持ちさえ忘れ」てしまっているのです。
 兄にとっては、弟を失った悲しみよりも、弟の秘密のほうが、重要事項だったということです。

 しかも。
 結局、予測通りに弟が雪枝に恋をしていたことがわかった。
 ならば、兄の目的は一応達せられたかに思えます。
 しかしそれでも、兄はなぜかその場を立ち去れないのです。

 ということは、兄が何よりも知りたかったのは「弟は死ぬ前に恋を知れたのか」ではなかったことになります。
 他に気にかかることが見つかっていないからこそ、動けない。
 しかし兄は、それが何なのかは、明言しません。
 無自覚だったのか、それとも。


 次回は、兄自身に関する考察をじっくり綴ります。
 次回で、本作への考察は終わりの予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?