無門関第十四則「南泉斬猫」②
無門関第十四則「南泉斬猫」について、綴ってます。
公案の現代語訳は、こちら。
修行僧達が、子猫を巡って争っています。
「子猫は畜生だ。仏道に背く生き方をしたのに違いない」
「重要なのは今生だ。子猫は、ネズミから経典を守っている。小さな身で、仏教のために駆け回っているのだ」
「だがその過程で、子猫はネズミを殺す。殺生戒に反するぞ」
こんな感じで、「猫に仏性はあるのか」をテーマに大真面目に論争してたんだと思うんです。
そこに、彼らの師匠である、南泉がやってきます。
おそらく、論争がある程度進んだタイミングを見計らって入ってきたのでしょう。
皆が見守る中、南泉は、ひょいと子猫をつまみ上げ、いきなりこう言い出します。
「さあ言え。言えれば子猫は助けてやる。言えねば、子猫は斬る」
急展開過ぎる。子猫逃げてー!
その場に居た僧侶は、誰も何も言えませんでした。
そしたら、南泉は、本当に子猫を殺してしまいます。
ねこちゃん…。せめて安らかに眠れ。
ここまでのことについて、あれこれ考えてみたいと思います。
昔の禅宗というのは、現代の日本の仏教とは、同じ部分も異なる部分もあったろうと思います。
つまり、今の日本の仏教の在り方の他に、「当時の、一部の文系学問の最先端を修めることができる場所」という、言ってみれば大学の研究室のような側面もあったんじゃないか、という気がしているのです。
個人的なイメージです。
しかし修行は、内容が非常に専門的で、しかも、基本的には俗世から隔絶された状況で行われるため、場合によっては「寺のような限定された環境でのみ、通用する禅」しか育たない可能性もあると思うのです。
例えば、公案に関しては「1つの公案に数年かけた」というエピソードも珍しくはありませんが、しかしそれは、寺の中での修行中だからできることです。
また、禅僧同士で通じる専門用語や文脈が、そのまま俗世の人間にも通用するとは限りません。
つまり例えば、バカ王の理不尽な要請に対する返答を、数年遅らせた挙句、理解困難な表現で行ったら、そのまま無事でいられるかどうか。
ちょっとその後のことは想像したくないでしょう?
座学は大切です。身につくまでは、じっくり丁寧に時間をかけねばならない。これは否定できない真実です。
しかし、社会に禅を活かそうと思ったら、座学に加えて、やらなければならないことがあるのです。
それは、実戦レベルの演習です。
世の中にはいろんな人が居ます。
寺は社会の縮図たりうるかもしれませんが、社会は寺ではありません。
寺の中のように、自分と似た属性の人だけが居るわけではないのです。
仏教の思想を理解する人もいれば、全く理解しない人もいます。
善人も悪人もいます。
当時の警察機関が、どの程度、民に密着していたのかは解りません。
しかし、もしも役人の腰が重い社会だったなら。
難題が生じたとき、公権力を当てに出来ない庶民がまず頼るのは、ボスか、知恵者。
つまり、村の首長か、寺の僧侶なのです。
「和尚様。オラの家に、怖ぇ連中がきて、居座っとるんです。
『おめぇんとこの娘、うちの頭の顔に泥塗りやがった。
勘弁ならねぇ。落とし前つけさせる』って言っとります。
このままじゃ娘は連れてかれて、酷い目に遭わされちまいます。
和尚様助けてくだせぇ。あいつらを改心させてくだせぇ。
あいつらいろいろ言うとりますが、オラにはだいじな娘なんです」
こんな案件が持ち込まれる可能性も、ゼロではないのです。
こんなとき「どう言うのが正解なんだろう?」といつまでも考え込んでいたら、娘は連れ去られてしまいます。
こういうときに立ち往生せずに済むように、研修期間に、いろんなケースに対応した訓練をしておく必要があるのです。
南泉の目的は、これだったように、私には見えるのです。
あるいは「抜き打ちテスト」と言ってもいいかもしれません。
だから決して意味のない命令だったわけではないのです。
しかし、このとき弟子達は、この南泉の言葉を多分「猫に関連させて、何か禅の真髄を示すことを表現しろ」と言われたと受け取っています。
新しい公案を与えられたのだと思っている。
つまり「言えねば猫は殺す」は、あまり本気で受け取っていません。
「そういうシチュエーションなのね」程度の、いつもの受け取り方です。
だから、いつもの公案に取り組むときのように、ゆっくりじっくり考え始めた。
だから、誰も、すぐには何も言えなかったのです。
仏教には殺生戒があります。生き物の命を無駄に奪うのは禁忌です。
まさか師匠がそんなことをするはずがない。
弟子達がそう思ってしまうのも、仕方がないことではあります。
しかし、これでは、南泉が思ったような成果は、多分出ません。
消防の避難訓練をがっつり行うつもりなのに、教える相手が「どうせ訓練でしょ」とばかりに、のんびり談笑しながら十数分もかけて建物から出てくるようなものです。
「お前それでは、本当に火事に遭遇したとき、教えたことを活かせずに、火と煙にまかれて死ぬぞ⁉」ってなもんですよ。
南泉がここで日和って「ちゃんと考えとけよ」と路線変更したら、今後南泉がどんな形で実戦訓練を積ませようとしても、弟子は「どうせこないだみたいな脅しでしょ」と舐めてかかります。
けれど現実の社会には、答えを教えてくれる師匠は、居ないのです。
南泉は、弟子の目を覚まさせる必要があった。
だから、猫を、本当に斬って見せたのです。
「え、猫を斬るって、本気だったんだ」と、ここでようやく弟子は気づいたでしょう。
本当に猫の命は目の前で失われた。もう取り返しは付かない。
自分の禅が救えたかも知れない猫の命。
冷や水を頭からぶっかけられたような思いで、師匠に殺生をさせてしまったことを悔いながら、今度こそ真剣に、現実にリンクさせながら、考え始めたに違いないのです。
さて、この日の夕方、南泉の弟子だった趙州が、寺に戻ってきます。
この話は、無門関に何度も出てくる高僧趙州の若かりし頃のエピソードなのです。
この続きは次回。
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