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無門関・現代語訳

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無門関の原文を現代語に訳したものです。 具体的な考察分は入れてありません。
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2022年2月の記事一覧

無門関第六則「世尊拈花」現代語訳

現代語訳 本則  釈迦は、昔、霊鷲山での説法会で、花を一本つまみ、聴衆に示した。  このとき、聴衆は皆、黙り込んでしまっていた。  唯一人、迦葉だけが、顔をほころばせ、微笑んだ。  釈迦は言った。 「私はかつて、悟りに至った。  物事を正しく見通す眼をもち、故に一切の迷いがない。  その実相は無相であり、人智の及ばぬ境地である。  この悟りは、文字で表すことはできず、経典にも書かれていない。  これを今、迦葉に伝えた」 評唱  悟ったゴータマも、随分勝手な振る舞いをしたも

無門関第五則「香厳上樹」現代語訳

現代語訳 本則  香厳和尚は言った。 「人が樹の上に、登っているとする。  口で樹の枝に噛みついている。手は枝を掴んでいない。  足も樹を踏みしめていない。つまり、宙ぶらりんだ。  このとき、樹の下にいる人が、『何故達磨は西からやって来たのですか』と問うてきたとする。  樹の下の人は答えを求めているのだから、答えねばならない。  しかし、答えようとして口を開いたら、たちまち樹から落ちて絶命してしまうだろう。  まさにこのような状況では、どのように答えたらよいだろうか」 評

無門関第四則「胡子無鬚」現代語訳

公案現代語訳 本則  或庵和尚は言った。 「達磨には、どういうわけで、髭がないのだろう?」 (※原文では達磨をやや蔑称を用いて呼んでいます) 評唱  参禅は実のあるものでなければならないし、悟りもまた、真の悟りでなくてはならない。  この達磨は、実際に自分の目で一度しっかりと見て、初めて腑に落ちるものに違いないのだ。  しかし、「自分の目で一度しっかりと見ろ」と説いても、その途端に二者になってしまう。 頌  未だ悟っていない人の前で、夢を説いてはいけない。  達磨に髭が

無門関第三則「倶胝豎指」現代語訳

現代語訳 本則  倶胝和尚は、挑戦的な禅問答を挑まれると必ず、指を一本立てて見せた。  倶胝のところには、小僧がいた。  あるとき、この小僧に、客人が尋ねた。 「和尚は、どのような仏法の教えをなさるのですか」  小僧もまた、指を一本立てて見せた。  倶胝はこの話を聞き、刃物で小僧の指を切り落とした。  小僧は、痛みに泣きわめきながら、その場を立ち去ろうとした。  倶胝は、小僧を呼び止めた。  小僧は振り向いた。倶胝は、あろうことか、指を一本立てて見せた。  小僧は、そ

無門関第二則「百丈野狐」現代語訳

公案現代語訳 本則  百丈和尚が説法をしていると、弟子に混じって一人の老人がいつも聴きに来ていた。いつもは説法が終わるとその老人も帰っていくのだが、ある日、老人は帰らずにその場に残っていた。  百丈はこの老人に尋ねてみた。「お前さんは一体誰だね?」  老人は言った。 「はい。現在の私は人間ではありません。元は、釈迦もいなかったほどの昔、この山に住んでおりました僧侶でございます。  弟子の一人が私に『修行が成って悟りを得た人も、因果の法則に縛られるのでしょうか?』と訊ねてきた