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エッセイ

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#コラム

大学の自己紹介コールの変遷

 大学入試に合格し、無事入学手続きを終えた学生が、まず行うことは何か。  シラバスを熟読することか。  履修項目を吟味選択することか。  否。  まず行うこと。それは、飲み会に出ることである。(暴論)  大学によっても、学部によっても、サークル主催か、学部の先輩方が主催なのかなどの、多少の差異はあると思うが、「旨いメシと酒で受験勉強の憂さをはらし、我が世の春を謳歌する」という基本スタイルは同じである。  最近は酒を無理強いする不届者も随分減っていると聞く。喜ばしいことである

輪廻転生に関する仮説:なぜさっさと抜けるべきなのか

 宗派にもよるが、とりあえず仏教では、輪廻転生は「ある」とされている。 「生まれ変わり」と言えば何? と問われたとき、「松田聖子の記者会見」を思い出す人は、今は随分少なくなったろう。  郷ひろみとの破局会見で「生まれ変わったら一緒になろうねって、約束したんです」と涙声で語ったその僅か半年後に神田正輝と結婚した松田聖子の、一片の憂いもない満面の笑みを見たとき、やはりあのくらい面の皮が厚くなければ、トップアイドルにはなれないのだなあと、いっそすがすがしい思いがしたものである。

バラエティ番組のトーク台本が雑だった話

 80年代頃のお笑い番組の台本には、「○○コーナー:たけしのトークで客席爆笑」などという、たった1行のト書きが、平気で書かれていたそうである。出演者の実力次第で、番組の台本がペラ紙一枚に収まることも珍しくはなかったらしい。  まあ、こんな無茶な台本をあっさりクリアできるのは、一握りの天才だけであって、それに加えてコンプライアンスに何かと厳しい昨今は、ほぼすべての発言内容が、台本にきっちり書かれているのが普通である。らしい。知らんけど。  で、今回語る、「雑な台本」というのは

落語講談雑感・談志と伯山

※文中では、著名人の敬称は略します。  小さな頃から落語が好きでした。  小朝と歌丸は上手いなあと思いながら育ち、大人になってから、談志と志の輔の落語に頭をぶん殴られ、惚れ込んで今に至ります。今は、志ん朝も聴きやすくて良いなと思う。上善如水という言葉が浮かびます。  しかし私は随分歳をとるまで、講談の方は、まともに聴いたことがありませんでした。  それまで私が知る講談の演目と言えば、談志が演る源平盛衰記くらい。  源平と言っても、談志が演っている時点で、いわゆる「講談」で

長続きする関係に存在する共通点

 長続きしそうなカップルと、うまくいかなそうなカップル。  最近、何となく見分けがつくような気がしてきたので、覚え書き程度に記します。  正確に言うと、夫婦にしろ恋人にしろ、相性が良さそうなカップルには、ひとつ共通点があるような気がする、ということです。  勿論物事には何でも例外というものはありますので、あくまでも私の独断と偏見による、大まかな傾向ですけども。  普通に、仲が良さそうなカップルがそのまま末永く添い遂げることも、喧嘩ばかりしてるカップルがあっさり別れること

作中の、慣用句や小道具の使用と寿命

 チラシの裏的な文章。作中の慣用句や小道具について。  小説、ドラマ、映画、戯曲、まあ何でも良いんですが、その世界で表現したいテーマがまず幹としてあるとすると、その世界の背景を彩る枝葉として、何らかの小道具があります。  小道具。例えば、ダイヤの指輪が入ったリングケースを、カプッと開いて見せると、プロポーズだねとなるし、全員ちょんまげだと、現代じゃねぇな何時代だろとなる。中世ヨーロッパ風の空間にでかい恐竜や昆虫みたいなのが現れると「異世界なのね」となるのは日本特有らしいで