人生で二度とTwitter公式アプリ開きたくない
Twitterってね、クソなんですよ。
あるツイートを見たときに、どうしてもそのツイートの「RT数」と「いいね数」が見えちゃうでしょう。あれ本当にクソなんです。たとえばこんな経験ありません?
「俺あんまピンとこなかったけど、たくさんRTされてるってことは良い言説なんだな~いいねしとこ~」
は??は???脳みそ詰まってないのかお前。でもやっちゃうんだよな~これ。
反対に、「0RT・0いいね」のツイートを見たときにも「誰からもいいねされてないから面白くないんだなこれ……」って判断しちゃうこともあります。僕はわりと流されやすい人間なので、やりがちです。
いやいやいや、でもおかしいから。他人の評価軸を気にして生きるんじゃねえよ。たとえ0いいねのしょーもないネタツイだとしても、みうらじゅんのボケを5000万倍劣化させたクソみたいな呟きだとしても、お前がそこに一欠片でもセンスを感じたならいいねを押せよ。
2019年。「何を言うか」より「誰が言うか」が大事で、そしてそれ以上に、「その発言がどのくらい多くの人に評価されてるか」が大事になっちゃってる。
そりゃ元々、人間には権威主義的なところがある。同じ「意思には一般意思、全体意思、特殊意思の3種が存在する」という言葉だってルソーが言うのとサンドウィッチマン伊達が言うのじゃ大違いでしょう。別にルソーだろうが伊達だろうがこの発言自体はちょっと何言ってるかわからないんだけど、世間的な受け止め方はやっぱり違うわけで。
Amazonでものを買うときや映画を観るときにも、なんとなくレビューの星の数は見てしまう。いろんな人の意見というのはまさにルソー的な「一般意思」の端くれではあるから、ある程度「正しい」レビューではあるんだろうけど、そればっかりだとほんとに相対評価だけ気にする人生になりそうで。
世界中の誰も気にしてないものだって、自分のハートが動いたならそれでいいじゃん、と。
だからなるべくTwitter公式アプリを開きたくないです。なんだアレ。定期的にUIの変な改悪あるし、人々もそれに仕方なく適応していって最終的には使いこなしてるあの感じ、何アレ。
代わりに使ってるのは「Janetter」というアプリ。これはタイムライン上にRT数もいいね数も表示されない奇跡のTwitterクライアントである。twicca、ツイやつγ、Twitpane、beeter、といろんなクライアントを使ってきたけど、こんな通好みの仕様はなかなかない。Janetter先輩と呼ばせてもらおう。
まあ画像のアップロードなんかは公式クライアントが一番やりやすいから、「二度と使わない」なんてことは現実的には難しいんだけど。
それでも「相対評価の世界」だけじゃない、「絶対評価の世界」でも生きていたいから、僕は今日も明日もJanetter先輩についていきます。あっJanetter先輩の指令なんで自分ちょっと焼きそばパン買ってきます!!!!あっガリガリ君も!!!
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