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結婚して名字が変わった話のその後

結婚してすぐの頃に、こんな文章を書いた。

この頃は、名字が変わると自分自身の一部が欠損するような、今までの自分とは切り離された何者かになるような奇妙な不安を抱え、名字を変えざるを得ない状況に辟易としていた。

それから約2年経った今の心境を書いていきたい。

今年転職して毎日新しい名字で呼ばれる日々となり、旧姓よりも新姓で呼ばれることが圧倒的に増えた。

先日久しぶりに前職の先輩に会い、旧姓で呼ばれたとき、あー懐かしい!と思うほどに、今では結婚後の名字が体に、心に馴染んでいる。

「〇〇(旧姓)さん」と呼ばれると、懐かしい、そんな頃があったなぁと思うが、友人たちに呼ばれる「〇〇(旧姓)ちゃん」という呼び名は、懐かしいという感慨はなく、今も現役ばりばりの「私の名前」である。

それは多分、「〇〇(旧姓)ちゃん」という愛称は、ただの名字という域を超え、いつしか私の大切なあだ名になり、私自身を育む一部として、一緒に成長する相棒として、ずっと一緒に過ごしてきたからだと思う。

友人から呼ばれる「〇〇(旧姓)ちゃん」が消失することがないのであれば、対外的に社会的に呼ばれる名字なんて、なんでもよかったのかもしれない。

これはあくまで私の気持ちである。そして、名字が変わってみて気づいた気持ちの変化である。だから、名字が変わらないで済んだのなら、それに越したことはなかったなとも感じる。

あ~こんなものだったのか。名字が変わることは、こんなにも単純で簡単なことだったのか。でも、こんなにも個人個人に根差していて、その人そのものを表す言葉だから、人が名字を変えるということは、大きな決断だし、時に人を苦しめるほど難しいものになるのだろう。

名前はその人自身を表す。だから、その人が納得して選択できるように、相手の名字か、自分の名字か、夫婦別姓で歩んでいくのか、3つ目の選択肢が増えれば良いなと思う。



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