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ストレスとの向き合い方は人それぞれ

生きている限り、イラッとすること、嫌なこと、しんどくなることは必ず起きる。避けられない分、こういう日もあるさと大きな心で受容できたらどんなに良いだろう。そうはできずに毎回しっかり気持ちが落ち込む私は人間らしいと言えばそうなのだろうか。

私のストレス発散法は、ストレスの素である悪性腫瘍を人に話しまくることで小さく小さくしていくことだ。例えば、平日に仕事で嫌なことが起きた場合、夫が帰宅したらすぐに聞いてもらおうと意気込み、鼻息荒くその時を今か今かと待つ。

しかし、夫が帰宅するまで待てないこともしばしば。一刻も早く誰かに話を聞いてほしい時は、友人に電話をかけることもある。1時間ほど話をしていると、いつの間にか気分が明るくなっており、「まあ、いいか」という気持ちになっている。

その後、夫が帰宅したらまた話を聞いてもらう。本日2回目の話のため、話し方がなんだかうまくなっていることに気付く。次に誰かに話すときはこっちから先に話すようにしようなどと頭の中でシミュレーションしているうちに、なんだか嫌なことがどうでも良くなってくる。

まあ、これくらいで消える悩みなど、最初からしょうもないことであることが多いのだが……。

てっきり他の人もそうだと思っていた。

これまでも元気のない友人がいたら、「話したら楽になるから、私で良ければ話聞くで」とよく言っていたものだ。

そんな私が、「みんながみんな、しんどい時に人に話を聞いてもらいたいものではない」と気がついたのは、夫と暮らしてからだ。夫は私と正反対で、しんどい時は放っておいてほしい人だった。

そうとは知らずに一緒に暮らし始めた頃、仕事から帰ってきた夫が明らかに疲れていると、「何かあったの?」「しんどかった?」「どうしたの?」「大丈夫?」と少しでも話をして楽になってもらおうと話しかけまくっていたものだ。

すると、夫に「ごめんね。悪いけどそっとしておいてほしい」と言われた。元気のない人を見ると、大丈夫かと迷わず話しかける癖がついている私は、こういう人もいるのかと驚いた。

でも、よくよく考えてみると、むしろなぜ今まで「自分がそうだから、他の人もそうだ」と決めつけていたことに気がつかなかったのだろう。

話すことでストレスを発散させる人がいるように、寝ることでストレスを緩和させる人、1人で時間をかけてストレスを小さくしていく人など、いろいろなタイプの人がいて当然なのだ。

これ以降は、夫が疲れている時、できるだけそっとすることにしている。話したがりの私は、面白い話があると話したくてうずうずするのだが、今日は違うなと思ったら我慢している。成長したなぁ、私。

元気がないときだけでなく、喧嘩したときも、夫と私の態度は180度異なる(これまで2回しか喧嘩したことないけれど。そして翌日には仲直りしているけれど)。

不服なことがあると、私は話しまくるが、夫は黙り込む。そんな時「思っていることがあるなら言ってよ」と言っても、夫は何も言わない。何か言いたそうに見えても言わず、早々に寝室に行き、背を向けて寝てしまう。

翌日の夜、夫が「昨日はごめんね」と言った。仲直りしたいと。そしてこう続けた。「『思ったことがあるなら言って』と言われても、思っていることを全て言おうとしない人もいるし、言えない人もいる。ただそれは言いたいことを我慢しているわけではない。言えない自分も自分らしいんじゃないかと思っているから、何も言わないことを気にしないでほしい。ただ黙り込んでしまうのは申し訳ないと思っている」と。

夫は相手を思いやるがあまり、内に思いを蓄積させていく人だ。

そういう人に対して、思いを溜め込むのは良くないと言ってしまいそうになるが、本人にとってそれは言いたくないことなのだから、「溜め込んでいる」意識すらないのかもしれない。

夫の思いを全て聞きたい気持ちをぐっとこらえ、話し出したときには全力で耳を傾け、そうでないときはそっと見守ることも愛なのかなと思う今日この頃である。

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