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ゆっくりゆっくり

現在30歳。今日同い年の友達が「ねー、やばいよ。うちらもう30歳だよ!」と言ってきた。やばくはないけど、少々の焦りはある。

去年はオーストラリア、チェコ、スペインを訪れてしっかり遊べたし、夫と毎日幸せに暮らしているし、入社して半年経った新しい仕事は良い同僚に囲まれて楽しめている。

だが子供はいない。そのことに対して少々の焦りと不安がある。

子どもがいる友達に、「35歳までにほにゃほにゃ」とか「30歳でも卵子の数がほにゃほにゃほにゃほにゃ」とか言われたことがある。

そのとき頭の中で計算した。35歳までに子供二人ほしいとすると、一人目の子供は何歳までに……。

まるで人生を逆算して生きているようだ。

仕事じゃないっつーの。

目標を定めてそれに向かっていく生き方が苦手だ。むしろ揺蕩うように生きながら、たどり着いた場所で幸せに生きたい性質だから。

20代から30代になって、こうして新たな荷物を背負いこんだ一方、降ろせた荷物もある。

私が30歳になったときに降ろした荷物は、若さ、初々しさ、「若い女性」という看板。そしてほぼインポッシブルな夢でも熱く語れる勇気と無垢ゆえの大胆さ。いつのまにかナンパはされなくなったし、かわいいやきれいという言葉よりも内面をほめてもらえることが増えたし、「若い女性」という看板を下ろせた気がする。そして将来の夢を友達と語り合うこともいつしか終わっていた。これらの荷物を降ろしたことで、これから先もっと歩きやすくなりそうだと思えた。

一方で背負いこんだ荷物は、ライフスタイルの変化に焦りを感じる心。人生を逆算して考えていこうとするすっかり"大人"になった私の精神。仕事で即戦力と実践力が求められるようになったことへの自分の能力との差異に対する不安など。

40代になったら、またライフスタイルの変化の荷物を降ろして、親のことだったり家のことだったり、その時々に応じた新しい荷物を背負って歩いていくのだろう。

生まれたときが山のてっぺんだとして、人生は山をくだってゆくようなものなのかもしれない。足をすべらせないように、転ばないように、最初は家族と、中高生になったら友達と、今は夫と、友達と、家族と。

ゆっくりゆっくり下山していこう。

不要になった荷物は降ろして、そしてまた新たな荷物を背負って。


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