妄想上の法事
私は何を隠そう、真面目な状況であればあるほど、笑いがこみ上げてくる困った性質がある。
先日、家族と見知った親戚合わせて10人ほどでお寺で法要を行ったときのこと。
一人ずつ父から順にお焼香をしていくのだが、全員お焼香の前と後で参列者にお辞儀をしていった。
身内しかいないのに仰々しくお辞儀をしてお焼香を順にしていくシチュエーションがなぜかおもしろくなり、口を頑張って閉じるものの、口の中ではにやにやが止まらなくなってしまった。
一度トリガーが発動したら、もうそこからは雪だるま式に笑いがこみ上げてきてしまう。
次は、お坊さんの声がよく響いて心地よく、ビートを刻んでいるように聞こえてきた。そこに自然と裏打ちで南無阿弥陀仏を心の中で唱え、精神上でお坊さんとセッションをしていた。
真面目な状況なのに、心の中ではお坊さんとのライブが盛り上がり、音楽が鳴りやまない。心のにやにやが止まらない。
お坊さんのお経が終わり、ライブが大盛況のうちに幕を閉じた。心の中で「来年もライブで会いましょう!」のテンションで、「誠に南無阿弥陀仏でござんした!」と言ってステージを降りた。
この性質は、ガキツカの笑ってはいけないと構造が同じだが、こちとら一人で誰にも知られない中でのチャレンジである。我慢するのがとても苦しくて困っている。
それでもそのとき思った。どんなに辛い状況に追い込まれても、体を縛られても、人間の精神は誰にも侵されることはないのだと。精神だけは、いかなるときも限りなく自由なのだ。
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