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カノンの旋律と

今でも、ふと思い出す情景がある。

窓際の一番後ろの席に、彼は、いつも座っていた。どこか寂しげで、儚げで、一匹狼のような近寄り難い感じがあった。周りでガヤガヤしているのを達観しているような、ひとりを、静けさを好む人なのかと思っていた。

仮にIくんと呼ばせてもらう。

Iくんは、いつも頭にバンダナを巻いていた。確か何年か留年していて、私と同じ学年になっていた。先輩という事もあり、私は、なおさら近寄り難く、こわい人なのかと思っていた。

朝早くに来て、窓際の一番後ろの席を選んでいた。

いつも、イヤホンで何かを聴いていた。

私は、朝が起きれず午前中の授業に出れない事が多かった。席は決まっておらず自由。午前中ギリギリの授業に出ると、チョークの粉でまみれた一番前の席しか空いていない。だから、好きな席を後ろの席を選びたい人たちは、朝早くに学校に来ていた。

友人も朝早くに来て、後ろの席を確保していた。朝が早いから、Iくんと良く一緒になっていた。

「Iくんカノン聴いているんだって」Iくんの周りに人が集まり、イヤホン越しに友人達が音楽を聴いていた。当時の私は、オザケンとダウンタウンにしか興味がなかったから「カノン?って何?」どんな曲か、わからなかった。クラシックを聴くような家ではなかったし、ピアノや吹奏楽をたしなんだ事もなかった。「良い曲だよね、私も好き」友人達が口々にいう。ふーん、皆んな知っているんだ。どんな曲だろう?「有名だから、きっと聴いた事あると思うよ」友人が一緒に聴かせてくれた。

実際に聴いてみたら、たしかにどこかで聴いた事がある、とても素敵な曲。これが、パッヘルベルのカノンとの出会いだった。天使が舞い降りてくるような、軽やかで美しい旋律が繰り返し繰り返し、祈りのように流れてくる。

優しい曲。

カノンとか聴くのか、Iくん。

印象が変わった。

バンダナ巻いてるし、絶対ロックとか激しい曲を聴いている、話しかけたら「うっせーな」とか言う、こわい人なのかと思っていた。

酷い偏見だ。

思っているよりも、優しい人なのかもしれない。

嬉しい発見だった。

直接話をした事は、多分なかったと思う。だから、素行不良で留年しているのだと、勝手に思い込んでいた。


Iくんは休みがちになり、学校に来なくなってしまった。この学校は、医療従事者を目指す学校で、実習や課題で大変な事も多かった。既に辞めてしまった人や、精神的な理由で休学している人もいたから、辞めちゃうのかな?と皆、心配に思っていた。


突然、別れはやってきた。


Iくんが亡くなった、と友人から聞かされた。


Iくんは、白血病の闘病中だった。

私は亡くなるまで、その事を知らなかった。いつも頭に巻いていたバンダナは、抜けてしまった髪の毛を隠す為だったのだろう。

ひとりでいる事を好んでいるように思っていたけれど、自分の病気を知って、人との距離を置いていたのだと思う。

話してみればよかったな。

何か私にも、できた事があったのかも、と。

Iくんは、どんな気持ちでカノンを聴いていたのだろう。


カノンを聴くと、Iくんを思い出す。

窓際の一番後ろの席に座っていた姿を。

思い出の中のIくんは、白い柔らかな光のなかで、優しく笑っている。


たぬきの親子さんの、素敵な企画を知って参加させていただきました。

心温まる素晴らしい記事がたくさんあります。

恋愛とも友情とも異なる話ではあるのですが、学生の頃の教室を思い出すと、Iくんの事が浮かんできます。私にとっては、これも青春だったのかな、と思い参加させていただきました。思い出すきっかけを下さり、感謝しています。ありがとうございます!

ここまで、貴重なお時間を!ありがとうございます。あなたが、読んで下さる事が、奇跡のように思います。くだらない話ばかりですが、笑って楽しんでくれると嬉しいです。また、来て下さいね!