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書く物がホラーのようになってしまう理由を探していたら、私の好きな事を思い出した。

今こうして、小説のような物(小説とハッシュタグをつける度に、これは、小説と呼べるのか?と胸がチクリとしています)を書いている事を不思議に思っています。

創作活動でもっとも大事なこと
・創作を楽しみ続けること
・ずっと発表し続けること

ってnoteさんが言っています。

有り難い事に、この言葉に背中を押されて、私は書いています。

小さい頃から小説家に憧れていて、沢山本を読んで、小説を書いていました。とか、残念ながら、そんな事はひとつも無くて。中学生の頃に、女子6人くらいで、交換日記をしていました。その中で、順番に話を繋げて書いていき、ひとつの物語をみんなで作ってみる、という事をしていました。これが唯一の私のオリジナルの書き物でした。

話の内容は、中学生らしく、当時流行りのアイドルと各々が恋仲になる、なんていう、自己満足のかたまりのような話で、直ぐに完結してしまいましたが。

もし私が小説を書く事があるのなら、冒頭にあの言葉をもってこよう、とか、頭の中に思い浮かぶ言葉は、沢山あったけれども、まさか、本当に、私が小説のような物を書く事になるとは!考えてもいなかったのです。

本当に、note様様です。

最近、書いてみて、どうも、悲しい話や死の話にいってしまって、優しい、楽しい、そんな話にはならないのです。

何でだろ?

思い当たりました。

あ、私、推理小説とかホラーばかりだった。

小学生の頃は、あなたの知らない世界という怪奇現象番組を見る為に、学校から急いで帰ってきたし、中学生の頃は、友人宅でホラー映画のビデオを見まくっていました。当時は、13日の金曜日、エルム街の悪夢、エクソシスト、バタリアン、ゴーストバスターズ、グレムリン、チャイルド・プレイ、ミザリー、スタンド・バイ・ミー、羊たちの沈黙など、面白い名作映画が沢山流行っていました。

そういえば、夫と付き合いはじめの頃に、ブレア・ウィッチ・プロジェクトという、ドキュメンタリーのようなホラー映画を観に行って、ドン引きされた事を思い出しました。夫は、ホラーが大の苦手でした。それ以来、ホラー映画を2人で観るという選択肢は無くなったのでした。話が横道に逸れましたが、

もちろん、テレビも!火曜サスペンス劇場は、欠かさず見ていました。大抵犯人は、主演の次に有名な俳優さんで直ぐにわかってしまうのですが、完全犯罪のトリックを考えるのが、楽しかったです。そして、あの!ジャジャジャーンって、音楽も!素晴らしくて、毎回楽しみにしていました。

金田一耕助は、古谷一行さんのシリーズが好きだったし、名探偵ポワロも大好きでした。世にも奇妙な物語、タモリさんの語りと音楽が、これまた良きです。アニメなら、妖怪人間ベムベラベロ、闇に隠れて生きる、歌も最高です。妖怪図鑑を持っていたゲゲゲの鬼太郎、喪黒福造の笑ゥせぇるすまん。今ならば、銭天堂でしょうか。ファンタジー映画なら、ネバーエンディングストーリー。幸運のドラゴン・ファルコンが友達に欲しかったな。ツインピークスのクーパー捜査官に恋したな。現実と空想の間のよう話が好きでした。夏になったら「怖いな、怖いな」稲川淳二も忘れては、いけません。

小説は、エドガー・アラン・ポー、スティーブン・キング、レイモンド・チャンドラー、ジョン・アーヴィング、松本清張、赤川次郎、宮沢賢治や長野まゆみなど、絵本作家のエドワード・ゴーリーも大好きです。オカルトやホラー、空想物語、探偵もの、思えば不可思議な話、ミステリーや謎解きが大好物だったのでした。

恋愛小説?多分、読んだことがない。

根がそうなのだから、どうしても、死やホラーや空想の話になるんでしょうね。

社会人になってから、何か原因があった訳ではないのですが、ホラー映画やテレビが怖くて、全く見れなくなってしまいました。と、書いていて思い当たった事は、大好きな人ができて、守りたいものが出来たから、という事です。

私がいなくなったら、悲しむ人がいる。大切な人を失いたくない、守りたいという思いは、怖い、という感情を芽生えさせるように思います。

そして、育児で、物理的にも、小説や映画やテレビからも離れていて、ホラーやミステリーが好きな事を、すっかりと忘れてしまっていました。


何で、ホラーやミステリーが好きなのか?身近に死があったからかもしれません。

私は、死にとても興味があります。

だからといって、死に急いだり、死にたいと思っていたりする訳ではありませんので、ご安心下さい。

死とは、いまだに解決されていない、人生における最大のミステリーだと思っています。

人は、どうして死ぬのだろう。死ぬ為に生きているのか?生きる為に死ぬのか?死んだらどうなるのだろう。意識は、残るのだろうか?体験しないと、わからない。死んでみないとわからない。

死の先に、新しい世界があるのだとしたら?考えると、恐怖よりもワクワクしてしまいます。死ぬ時が来たのなら、私は、快く受け入れたいと思っています。その時になって、死にたくない!って足掻くのかもしれませんが。

死がどういう物かわからないから、わかりたくて、答えを見つけたくて、ホラーやミステリーを読んでいるのかもしれません。


月に数冊とか、少ない数ではありますが、読書にハマっていた時期がありました。

その中で、とても衝撃を受けた本があります。

エロスとタナトス。夜に駆けるYOASOBIでは無いけれども、愛と性と死。快楽という愛の性の先には、生があって、その先には必ず死がある。


青空というタイトルの本があった。青空なのに、黄色よりも濃い山吹色の装丁が気になって、手にとってみた。ジョルジュ・バタイユというフランスの作家が書いていた。

青空のような爽やかな優しい物語を想像していたが、内容は、暴力的で、変態的で、残忍で、神への冒涜のような欲望と性と死が直結した生々しい表現に、目を背けたくなる、吐き気がするような話だったが、私は、結局、読破した。嫌悪感で、全く何も感じなかったかといったら嘘で、その衝撃的な狂気のような表現に、感じる物があった。私の中の深い所にある、悪魔の一部を見つけてしまった、気がした。

「青空?全然、青空なんかじゃないじゃない!こんな事、書いて許されるの?」ショックだった。

人間の欲望の根っこのような、見たいけど見たくない。そんな話だった。

私は、このような本を持っていても良いのだろうか?良心に苛まれ、手放してしまった。しかし、今でも、あの衝撃的な内容は、頭にこびりついていて、影響されていて、性と死が直結している、と私も思ってしまう。

今回、ふとジョルジュ・バタイユを思い出して、調べてみた所、影響を受けた人物として三島由紀夫とビョークにつながっていました。夏目漱石や太宰治は、教科書でしか読んだ事がなかったですし、文学少女ではない私が、日本文学の中で、唯一何冊も読んだことがあるのが、三島由紀夫でした。ウィキペディアには、自決する前、一番親近感を持っているのはバタイユと述べている。と、書かれています。三島由紀夫には、ジョルジュ・バタイユの世界観と同じような、やはり性と死を感じます。

アイスランドの歌姫ビョークも、一時期よく、聴いていました。ダンサー・イン・ザ・ダークという、救われない、あまりにも悲しい映画も思い出します。

好きな物につながっていた事で、ジョルジュ・バタイユの思想に偏っている事を、肯定してもいいような、受け入れてもいいような、そんな気がしています。

多感な時期に、ホラーやミステリーに影響を受けて、今の私の根っこになっていて、やっぱり、ホラーやミステリーや死を想起する話が私は、好きなのです。

偏った思想があるから、私が書く小説のような物は、ホラーのような、可愛げのない物になってしまいそうです。

苦手な方は、サーっと通りすがってくれれば幸いです。

お好きな方は、夏の暑い夜に、ゾワッとしていただければ、嬉しと思います。

長々と、お付き合いいただき、ありがとうございました。

ここまで、貴重なお時間を!ありがとうございます。あなたが、読んで下さる事が、奇跡のように思います。くだらない話ばかりですが、笑って楽しんでくれると嬉しいです。また、来て下さいね!