見出し画像

栗の思い出、あちこち

東京で女子大生をしていた短い期間、毎週末のように飲み歩いていた。合コンだったり、女子会だったり、外だったり誰かの家だったり、と19や20の時は割と後先考えずに出されるがまま飲んでいたような気がする。よく飲み、よく食べ、の健康優良児だったので、飲んだ後は何かしら食べたい私は、帰り道にぶらぶらと甘栗屋台を探して彷徨うのが常だった。20の私のシメは甘栗だった。五百円の袋を買って全部一人で食べていた。爪と指先を真っ黒にして、パッカパッカとリズム良く皮をはいでは甘栗を口に放り込んでいた。寒い日もミニスカートに生足で、冷たいガードレールに寄りかかって食べる栗は焦げてキャラメルのような甘い匂いだった。

宮崎のばあちゃん家で食べる栗は茹でたもので、半分に切られており、スプーンでほじって食べていた。ほくほくで大きくてお芋のように黄色くて甘い。先がちょっとだけ尖った小さなスプーンはまるで栗専用に作られたように、どの栗にもフィットしていて、テレビアニメを見ながらカルピスや麦茶と一緒に食べていた。渋皮からパカっと綺麗に外れるとラッキーな気持ちになり、ばあちゃんに ”ほら!綺麗にとれたが!”と自慢していた。

旧東ドイツの小さな街の道端で買った栗は小さくて硬く、まるでヘーゼルナッツのような形だった。皮が弾けてるものもあれば、爪が立たないほど硬いものもあり、道端のベンチに座って悪戦苦闘している自分に見かねたボーイフレンドが大きな前歯でカリッカリッと切り目を入れてくれた。ひとつ剥いて、食べる?と差し出すと、唇の間に優しく咥えてそのまま私にキスをした。食べさせてくれるのかな、と一瞬思ったが、サッと唇が離れて栗は歯の向こうに消えた。

コロラドのロッキー山脈にハイキングに行くことになり、リュックに甘栗の小袋を入れていった。母は私が甘栗好きなのを知っていたのだろうか、日本からの宅急便に剥かれた甘栗が詰めてあるパックが3つ入っていた。もう長い間甘栗を食べていなかった私は上りの急斜面や岩がゴロゴロしているところを汗だくで歩きながら 次の休憩は甘栗!次の休憩は甘栗! と甘栗をモチベーションに頑張って登った。見晴らしの良い斜面の岩に腰を下ろして、水を飲んでから甘栗の袋を開けた。2つか3つか口に放り込んで、隣に座る友人に袋を手渡すと、彼はなぜかパッケージの文字を読もうとして袋を逆さにした。口がジップロックのようになっていた袋だったので、留めてあると思ったのだろう。え!!!と大きな声を出す私の目の前を甘栗がコロコロとこぼれ落ちていった。取りに行けるのならば取りに行って食べたかったが、甘栗は遥か下方に消えた。Sorry!と謝る彼をそこから突き落としたくなるほど腹がたった。

画像1

久しぶりに生栗を買った。ここらへんのスーパーではなかなか見ないのでちょっと嬉しい。早速オーブンで焼いて食べたが、味はまあまあだった。この栗の思い出はまだない。

シマフィー 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?