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駄じゃない駄菓子

駄菓子屋さん、って近所にありましたか?そしてそのお店には名前があり、看板があり、店名がありましたか? 周りの風景が思い出せますか? 誰ちゃんや誰くんと連れ添って、いくらのコインを握りしめて通っていたか覚えていますか?

宮崎の田舎で育った私がまだ小学校に上がるかどうかの昭和後半ですら、”これぞ駄菓子屋” という風情の店は少なくなっていたのではないかと思います。

私が思い出す唯一の”駄菓子屋” は、海バタの、小さな漁船が連なる入江のような場所から階段をちょっと登ったところにあった店です。名前はあったのかも思い出せませんが、みんな ”駄菓子屋” と呼んでいたような気がします。そこにいつもいたおばちゃんとばあちゃんも何となく思い出せ、店には何があったのかも大体のところは覚えています。さとこちゃんや田中くんと一緒にぶらぶらと海の匂いを嗅ぎ、壊れた網や疑似餌なんかを拾いながら階段へ続く道を歩いていたことも思い出せます。

私がよく買っていたのはペラペラのビニールに入った色とりどりの甘い水(味はどれも同じだったような・・・)小さいヨーグルト(木のスプーンでほじる)フェリックスや十円で4つ入った丸いガム、それとチロルチョコ(3つ繋がったのが十円)。粉のジュースにポン菓子もあったなぁ、あ、あとよっちゃんイカ。どれも1つ十円ほどで、少ないお小遣いで色々と買っては交換したり、分け合ったりしていた駄菓子です。


なぜこんな話をしているかというと、先日アルフィーさんの配信番組で"駄菓子屋”を体験するという企画があり、3人合わせて200歳の彼らが楽しそうに、懐かしそうに、あれやこれやを口に入れたり、おもちゃで遊んだりしている様子を

いいなーーーーーーー 

という気持ちで見ていたからです。

はしゃぎっぷりを見ている限り、約60歳はタイムスリップしていました。

彼らの時代は駄菓子屋さんがもっと身近にあり、友達やお兄さんや近所の悪ガキやらと一緒にちいさな楽しみを分け合う機会がたくさんあったんでしょう。

同級生で、同じ国の同じ地域で、同じ時代の文化を共有している3人が楽しそうに子供になっている様子を見ながら、羨ましいなぁと感じていました。たかだか五円や十円で幸せがたくさん買えて、しかもその60年後にまた幸せな気持ちになれるんですよ。すごい。

今の子供たちはどんな小さな楽しみを分け合っているのかしら? 彼らが大きくなって、大人になったとき、どんな小さな文化の共有が彼らを60年前の子供に引き戻してくれるのかなぁ。

駄菓子、って全然 駄 ではないね。改めてそう感じたアルフィーさんの企画でした。

シマフィー 

ちなみに、私の駄菓子屋の思い出はこれです


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