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楽しい楽しいで毎日が終わる

そんな自分はなんと幸せ者だろうか、と毎日ありがたく思っている。

パンデミックはまだ終了とは言えないが(実際居住地の郡は陽性者数も上がっている)教室内でのマスクは既に必須ではなく、学校行事もいつも通りに行われつつある(*アメリカ東の私立高で教師をしています)。
留学生の数も昨年と比べると多くなり、新入生歓迎オリエンテーションには父兄付き添いの留学生も多く、各国とアメリカの行き来が通常に戻りつつあるのだなぁと実感した。

今年はチームに大学院出立てのホヤホヤ新任の先生も加わり、ますます活気が出てきているし、これまでの遅れを挽回しようとチームもいろんなレッスンのアイデアを出し合っていつも以上に力と時間をかけて授業に取り組んでいる。

毎日朝から下校まで忙しい。
時間の拘束や仕事量は例年と変わらず、パンデミック下のこの2年も同じだったが、その忙しさの質と内容に大きな変化が起きている。

何より一番は生徒達と授業外でも一緒に過ごす時間が増え、ランチも一緒に座って食べることが出来(これまでは個々に黙食だった)、授業前や後の休み時間にクラス間での行き来も可能になったので自分が担当している学年以外の生徒とも交流が出来るようになった。
それゆえに生徒達の不満や、楽しみや、心配事や、恋の話などを直接たくさん聞くことが出来る。サッカーの試合を見に行ったり、チェスクラブを覗いたりもする。

小さな会話や観察で気づいたことや生徒達の生活・学校の背景を思いやる余裕が出来、それを授業内容やステップに反映させるのに忙しい。
なんと幸せなことだろうか。

パンデミックで失ったものは多い。
けれど得たものも多い。

私たちはなるべくたくさんの生徒とたくさんの時間を過ごすようになった。
心の変化や気分の上下や普段の身だしなみに変化があるのか、にも気づくようになった。パンデミック以来ソーシャル・エモーショナル・ラーニング(感情や社会性、自己認識や共感力などに焦点を当てる学び)がより強く叫ばれ、これまでは授業内容や進歩で教師の技量を測っていたのが、もっと大きな学びのプロセスを大事にするようシフトしているからだと思う。
それまで生徒達個人の背景にあまり興味がなく気を使わなかった教師も徐々に態度を改めつつあるように見える。
教育への哲学・価値観が似ている人たちと働くのは楽しい。

コールアンドレスポンスのように、そんな教師の変化に促されるように生徒達も学びをポジティブに受け止めるようになっている。
宿題が多くても、テストがちょっと難しくても、”学校が楽しい!” と感じている生徒が増えている。

毎日が楽しい楽しいで過ぎていく。
生徒達が可愛くて次はどんな楽しい授業をして喜んでもらおうか、と週末は忙しくしている。

仕事をしながら聴いていた高見沢さんのラジオ"ロックばん”でこんな相談が来ていた。
”娘にどうして学校に行かないといけないの?と聞かれました。高見沢さんならどう答えますか。”

高見沢さんは”あなたの好きなアニメのキャラも実在のアイドルも学校に行ってると思うよ”と答え、”みんな行っているよ”と言いたかったのかなと思ったのだが、よくよく考えると
”楽しいことは学校で起こっている。学校での経験がキャラやアイドルを魅力的にしている” と言いたかったのでは、と感じている。

毎日が楽しい楽しいな私も生徒達も、学校という場所があり、そこで出会い、いろんな経験を一緒にすることによってより魅力的になっているのかな。

シマフィー

今週は農耕の始りと文字の出現で人類はどう変化したかを考える授業でした


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