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子供のいない私の子供

その5人は2019年の6月に卒業した。
12年生の1年間、私のサポートクラス(留学生用の学習・英語サポート)で毎日45分、一緒に過ごした時間は彼らにとっても私にとっても楽しいもので午後のその時間がくるのを皆心待ちにしていた。

みなバラバラな国から来ているーーそれでもすぐに意気投合して兄弟の様に過ごした。

授業が終わっても、私の教室に放課後集まっては宿題をしながらおやつを食べ、時には下級生の面倒を見、5時になると帰り支度をする私に“一緒に校内のカフェで夕飯を食べよう”と懇願したりした。
高3にもなると言葉のチョイスや考え方は大人っぽいけれど、みな親元を離れての寮生活で親の様な大人を欲していたのかな、と思う。

卒業間近の5月には、毎週末の様に外で一緒に夕食を食べて、アイスクリームを買って、マリーナまで散歩をした。残された時間を惜しむ様に長く散歩をした。

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そんな彼らとの約束は、2020年の夏に一緒に日本へ行く、ということだった。
大学でバラバラになってもまたJFK空港で落ち合い、“家族旅行”をしようという計画だった。私がお膳立てをせずとも彼らたちの間で着々と事は進んでいた様だけど、結局は昨年3月の時点で計画は流れ、それなら今年の夏に・・・と思っていたが、それもダメになった。話すたびに いつ行けるのかな と不安そうな顔を見せた。

昨日彼らのことを書いた投稿がラジオで読まれ、私のリクエストした曲をかけてもらったので、一人は来れず全員は揃わなかったけど久しぶりに私も彼らのグループビデオチャットに参加した。

“いつも君がいた”という歌をかけてもらったよ、と伝えると、それはまさに自分たちのことだ!とみな大喜びだった。

青春のすべてに いつも君がいた
胸のセピア色のスクリーン いつも君がいた
時は巡る
The times they're A-Changin'
Baby, Baby, Days're Gone Baby
もう一度逢いたい 眩い日差しの中
もう一度逢いたい 夢は巡る
The times they're A-Changin'
It's all right


歌詞の大体を訳し、皆んないつも一緒にいたもんね、と言うと

シマのことだよ、いつも私たちのそばにはシマがいたよ、とジェスがベソをかいた。
今でもそばにいるよ、シマもみんなもだよ、とカイオが胸を叩いた。
私たちシマといつ会えるのかな、飛行機が飛んだらすぐに行くよ!と笑うプリシラの右横の画面で唇を噛んで涙を堪えているルカが

シマ、もう一回聴こうよ と言ったのでもう一度かけた。

”いつも君がいた” を静かに聴く彼らはみな高校3年生のあの時やあの場所やあのアイスクリームを思い出している様な顔をしていた。まだ子供なのに年取った大人の様な顔をしていた。

これまでは誰よりも近い距離で過ごしてきた彼らにとって、今の世界は果てしなく大きく、互いへの距離は遠く、自由だった社会に戻るまでの時間は無限に見える。それでもそれぞれの場所でできることを、夢実現に向けて、やらねばならない。

彼らの夢は日本旅行!

誰かが結婚する前に!と大雑把な目標を立てて、みんな笑顔でバイバイまたね、と別れた。

画面の私は、母が私を空港で送る時に見せるちょっと誇らしい様な、寂しい様な、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

シマフィー


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