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教師シマリス

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学校の授業、教育系のアレコレ、楽しく学ぶ工夫、そんなことを書いた記事をまとめました。 現在アメリカの私立高校で歴史と科学などを教えていますが、それ以前は日米を含め6カ国で英語・コ…
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2021年3月の記事一覧

Emoji vs 絵文字:同じではない!

ちょっと前ですが、レディガガの Rain On Me を渡辺直美さんがパロディリメイクされたMVを見て、私の生徒たちはいつも見ていたあのemojiが何なのかがやっとわかった!っと興奮していました(*アメリカ東海岸の学校です)。 こちらで見てくださいね。素晴らしいクオリティです! 元のMVで雨と共に降ってくるのはナイフだったのですが、それが3色串団子になっているのです。 この絵文字 🍡 です! みんなそれまで一体このアイスが3つ重なった様なのはなんやろ?と思っていたのです

日本人にしか聞こえない音

日本語を勉強している台湾のツイ友さんが、高見沢さんがビデオメッセージの中で頻繁に “今夜もつらつらと話してしまいましたが” というのを聞き、これはつらつら?ずらずら?どっちですか? と質問していたので、私はこう答えました。 どうでもいいことを長々と話すときつらつら、を使います。 彼女はきちんと辞書で調べた上で質問をしていて(偉い!学習者の鑑!)、つらつらは辞書にはきちんと考えるという意味しか載っておらず、わからなかったと言っていました。 調べると、つらつらは倩々・熟々と書

コミュニケーションの大敵:妖怪スリカエ

私の授業ではないが、授業の一環で生徒がお互いをインタビューする、という時間がある。今日のトピックは “SNSコミュニケーション時のマナー” ・・・高校生はどんなマナーに気をつけているのかを聞けてなかなか面白かった。 色んな意見が出たのだが、その中でも大きく頷いたのは 何の話題でも乗っ取って自分中心の関係ない話をするヤツはめんどくさい おぉ、同意! 私自身、SNSは生徒用を一つとアルフィー用wを一つしかやってないけれど、面倒だな・・・と思える人・コメントを見る事がある。

叩く理由

私の両親はしつけをする時に叩いたりつねったりする事はなかった。その当時にすれば珍しい事だったのかもしれない。父ちゃんのゲンコツが飛んでくるとか、お母さんに頭をポカンとやられる、とかはよく聞く話だった。 小さい頃から私は割と良い子だったし、年の離れた弟もやんちゃだったけれど、悪い事はしなかった。母に話しを聞いても “シマも弟も2、3歳の頃にレストランに連れて行っても立ち上がったり騒いだりせず、お利口に座っていた”と言う。 そんな良い子だった私は、多分悪い事をして叩かれたのは一

差別について語るのは難しい

学校からメールで、アメリカの都市部ではアジア人が人種差別の対象になっており嫌がらせを受けたり暴力を振るわれたりしているようなので気をつけてください、とお知らせが来ました。 朝のクラス会で差別について話し合ってください、との要望です。 アメリカでは人種差別が大きな社会問題 なんていう新聞の見出しを見て、ちょっと思うのは、それはアメリカに限ったことではなく、差別は人種やら性別やら出身地やらで日常的に行われており、自分たちは受ける側であると同時にやる側であるということです。

Happy News Only!

ニュースを読むのも見るのも嫌いです。政治、環境問題、戦争、侵略、人種差別、果てにはパンデミック・・・とそれに伴う呆れた大人たちのわがまま。テレビも新聞もそんなニュースばっかり。 何年か前までは1日に1度は新聞をいくつかチェックしていました。世界情勢を知り、将来に向けどんな事が出来るのかを考え、若い世代とシェアするのが大人の義務と責任だと思っていたからです。 でも今はほとんどニュースを読みません。授業の時間は限られているので(オンラインなので短くなっています)生徒と世界情勢

絵馬を読む、だけでは終わらない

ここは弟と母と一緒に訪れた宮崎の青島神宮です。 ちょうど誰も他に人はおらず、静かな境内をゆっくりと散策しました。 原生林が茂り、波の音が聞こえ、ほのかに潮の香りがします。 両脇に掛けられた絵馬の壁を通る時に、ついつい人様のお願い事を読んでしまいました。これは読んだら失礼なのかな? この中にいくつか英文で書かれていた絵馬がありました。 一つは英語の試験に合格して留学したい、みたいなお願いでした。 一生懸命書いたのがわかる、かわいい文章でした。 でもね、ついね、目に入ると添

子供のいない私の子供

その5人は2019年の6月に卒業した。 12年生の1年間、私のサポートクラス(留学生用の学習・英語サポート)で毎日45分、一緒に過ごした時間は彼らにとっても私にとっても楽しいもので午後のその時間がくるのを皆心待ちにしていた。 みなバラバラな国から来ているーーそれでもすぐに意気投合して兄弟の様に過ごした。 授業が終わっても、私の教室に放課後集まっては宿題をしながらおやつを食べ、時には下級生の面倒を見、5時になると帰り支度をする私に“一緒に校内のカフェで夕飯を食べよう”と懇願

正確に速く打てるまでやれ!

私が大学生になった頃はコンピューターはまだ普及しておらず、日本で女子大生時代の論文は原稿用紙に手書きで提出していた。図書館も、小さなタンスに分けられたインデックスカードをパラパラとめくって欲しいものを探し当てなくてはならなかった。 それでも大学ではワープロでタイピングの授業もあったし、サマースクールでアメリカの大学に短期留学した時もタイピングをやらされた。 インベーダーゲームのように上から落ちてくる単語や短い文章をタイプして爆破する、というゲームを来る日も来る日もやらされた