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ちいさいシマリス

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昭和の子供はこんなんでした。
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#エッセイ

世界の始まり、海のある小さな町

宮崎県の青島 ここに住んだのは人生の最初の何年かだけだけど、自宅の周りの風景も学校までの道のりも、ピアノ教室やお寺の幼稚園までの風景もよく覚えている。 不思議なものでこの町を引っ越して、その後高校卒業まで暮らした海から遠い町のことはところどころしか思い出せない。 小さい頃に見たものや食べたもの、経験や感情などは”人生で初”のものだからだろうか、私の記憶の中の青島はとても鮮明だ。その後に似たような経験をしてもそれが何度目かであり繰り返したものであるので強い印象がないのだろ

牛とひまわり

幼稚園に上がった頃、じいちゃんとばあちゃんの家があった敷地内に両親が小さな家を建てた。あまり詳しいことはわからないけれども、多分両親が建てたのではないと思う。まだ20代前半で小さな子(私)がおり、じいちゃんが経営する店で二人とも働いていて一体いくら給料が出ていたのか、それとも出ていなかったのか、わからないが、とにかく一戸建てを建てるような余裕は宮崎の小さな町でもなかっただろう。 裏には草ボーボーの”裏庭”があり、そこを抜けてひと一人通れるくらいの小さな抜け道を通るとちょっと

じいちゃんと鬼が眠った日

じいちゃんは、お酒を飲んで気に入らないことがあれば、窓からコップやら小皿やらをパーっと投げ捨てる。そうなるとテレビを見ている私といとこのゆりちゃんは二人で奥の部屋に引っ込まないといけない。子供を怒鳴るわけでもないし、手をあげるわけでもないが、 “もう、こんげなん料理は食わん!” と大きく自己主張する老人は見ているだけで怖い。 ばあちゃんはその日のうちに壊れたコップやら皿を取りにはいかず、次の朝までそのままにしておく。じいちゃんが朝起きて、昨夜と同じ場所に座ってお茶を飲む時に

南国のすごく美味しいもの、ボンタンアメ

ボンタンアメをひとつ握りしめている。 あまり早く食べてしまうともったいない。 でも美味しいので早く食べてしまいたい。 長く手に持っているとオブラートが溶けてしまう。 次のトンネルが来たらこれを口に入れよう。 小学一年の夏、宮崎の田舎から1時間ほど離れた別の田舎まで、土曜日にひとりで汽車に乗っていた。母方のじいちゃんが国語の教師、高校の校長先生を退職したのちに自宅で習字教室を開いており、そこに通っていたからだ。 学校が半ドンで終わると、駅近くにある父方のばあちゃん家で急いで

主人公はわたし:はてしない世界を追うきっかけをくれた本

大人になると本を読むのが仕事や義務になってしまうことがあり、なかなか自分にピッタリな良書に巡り合うことが少なくなってきますよね。もう長いこと生きていますが(笑)わたしにとってのナンバーワンの本はいまだにもう35年以上前に読んだ はてしない物語 です。 子供時代は本を読むのが好きで、空を見ては木を仰いでは水を弾いては違う世界に迷い込む空想が好きだったわたしにとって はてしない物語 は衝撃でした。 ここでネタバレしてしまうとこれからこの本を初めて読む羨ましい人から、この本を読

ピーナッツバターのトースト

私にとってのピーナッツバターは紙のカップに入った甘いやつです。 メーカーはアヲハタだったのか・・・画像を探してみたけど見つかりませんでした。昭和に子供だったみなさんには あーあれか、とわかるのではないでしょうか。正式にはピーナッツクリームでした。 小学校の5、6年だと思うのですが、母と二人暮らしだったそのころの朝ごはんはトーストにピーナッツバターと牛乳にほんのちょっぴりインスタントコーヒーを混ぜた、カフェオレとは言い難いほぼホットミルクのようなものでした。 他のものも食べ

人喰い犬の屋敷

かっちゃんとコーちゃんとサムー、3人の男の子が我が家の駐車場に自転車をキュッと止め、大きな声で叫ぶ。 シーーマーーちゃーーーーーん! 私は半ズボンを履いて帽子のあごひもを留め、水筒を斜めにかけて勢いよく飛び出す。 3人の顔を交互に見ると彼らが “俺の後ろに乗れよ”と自転車の荷台をポンポンしてくれる。今日はかっちゃんの後ろにする、かっちゃんは体も大きいしビュンビュン漕げるし、コーナーをぎゅーっと曲がるのもうまいから。 小学校3年生にはちょっと大きすぎる自転車に二人乗りで

遠慮する子どもの行く末

わたしは小さい頃から人の顔色を伺い、周りにとって一番望ましいと思われる行動や発言を取る人間だった。誰かの様子を見て覚えたのか、そう躾けられたのか、それともそれが美徳とされる小さな文化圏に生きて来たからなのかはわからない。 ただなんとなくそうしてきた。 何かが得意だとか、上手にできるとか、秀でているとかを大きく言わない方が良い。 時には自分以外の誰かを花形にしてあげるために、努力して来たこと、能力があることを隠してもよい。 そんな風に生きて来た。 ピンクレディーの振り付け

幽霊裁判:敗訴2例

小学校高学年のころ住んでいた家は大きな病院のすぐ目の前だった。 夕方薄暗くなってからは、その病院の入院棟の前の小さな道はちょっと怖いくらい静かで、まだ早い時間、6時とか7時とかでも、しんと静まり返った古いコンクリートの大きな建物を通り過ぎる時は自然と早足になった。 ある夕方私はその道を歩いて家に帰る途中に、建物の外に立ち、窓枠に手をかけて中を見ている白っぽい人間を見た。一瞬よりももっと長く見たが、ちょっと怖くなって確かめることもなく走って逃げた。 確かめる、とはそれが生身の

鬼とじいちゃんと節分

じいちゃんは、お酒を飲んで気に入らないことがあれば、窓からコップやら小皿やらをパーっと投げ捨てる。そうなるとテレビを見ている私といとこのゆりちゃんは二人で奥の部屋に引っ込まないといけない。子供を怒鳴るわけでもないし、手をあげるわけでもないが、 “もう、こんげなん料理は食わん!” と大きく自己主張する老人は見ているだけで怖い。 ばあちゃんはその日のうちに壊れたコップやら皿を取りにはいかず、次の朝までそのままにしておく。じいちゃんが朝起きて、昨夜と同じ場所に座ってお茶を飲む時に

自分6歳:盗んだお金から何を学んだか

自分が持つお金のことをあまり考えない。というか、あまりお金に執着がないし興味もない。 ポケットにお金を入れたまま忘れるし、1年ほど使っていないハンドバッグから2万円の裸銭を発見することもある。 大きな大人になってからは、現金は必要分ギリギリしか持たず、カードは万一の時にしか出さないようになっている。何かをローンで買うことはない。ありがたいことに夫はやりくりが上手で細かに家計簿をつけ、老後の貯蓄も年金の計算も嬉々としてやってくれるので全部まかせている。 そんなお金に執着ない