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I Recall, Therefore, I Am

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山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”…
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#恋愛

男前の基準を振り返る

歳をとり、誰しもこれまでの恋愛を振り返れば あぁ、あの人が自分にとっての男前の基準を決定した人物なのだ という原点にたどり着くのではないだろうか。 私の恋愛は国籍も年齢も恋愛の内容もバラバラだったが、それでも二人基準になった人が思い浮かぶ。 もし神様に時間と空間を超えて会わせてあげるよ、と願いを叶えてもらえるならば迷わずこの二人に会いに行きたい。 一人はDavid Attenborough(デビッド・アッテンボロー)さん。 BBCの自然科学ドキュメンタリーシリーズでお馴染み

バレンタインデーとキラキライケメン

2月14日を真剣に“やってやろう”と思ったのは高1の時、一度だけだった。それ以降は勝負をかけていない。 一応言っておくとまだ昭和の時代である。 同じクラスになった彼はなんと小学校4年時のクラスメイトで、私が引越しで転校するまでの1年間毎日顔を合わせていた。それ以来の再会となったのだが、私は顔を見て名札を見ても一瞬彼がわからなかった。 小学校の時はごく普通のぽっちゃりさんで勉強でも運動でも目立たず、特に何とも記憶に残らない男子だったその彼が、キラキラと輝く背が高いロン毛のイケ

盗人エイミー

エイミーは出会った時から嫌な感じだった。人当たりも良く、いつも笑顔で、面倒見が良いという周りの評価は知っていたがなんとなく”胡散臭い”感じがして好きではなかった。本能というか、勘というか、経験からくる警報が鳴ったというか、可愛らしい笑顔でも、胡散臭い感じがした。 コロラドの大学に通っていた時に、ボーイフレンドを介して出会ったのだが、最初に会った時から彼女が彼を狙っていたのがわかっていた。あからさまな態度や言葉には出していなかったが、私は知っていた。まぁそれも女の勘だったわけ

インターネットモテモテ期の終焉

初めてコンピューターを買ったのは90年代の半ば、留学していた大学時代、もう学校のライティングセンターに通いつめるのがキツくなっていた頃だった。 ワープロやコンピューターを持っていない生徒(99%の生徒)は学校図書館や寮にあるライティングセンターに通い、そこで論文の清書をしていた時代だ。 私が通っていた大学には大きな図書館が4つあり、そのうち2つは24時間開いていたので、夜中に頑張るタイプの私は大抵が深夜1時とかに家を出て図書館で宿題をしていた。*その頃の私はこちらに書いていま

さよなら殺し屋

大学生の頃、クラスメートの男の子にデートに誘われた。 彼はクリクリの肩まで伸ばした赤毛に鼈甲のメガネをかけ、いつもパリッとしたシャツにチノパンというきちんとした格好で授業に来ていた。 私が通っていたロッキー山脈が見えるコロラドの大学にはそんな男子はいなかった。 みなパーカーかトレーナーに汚れたジーンズか短パン、靴下にサンダルもしくはトレッキングシューズなどのカジュアルな格好だった。 彼、ローマン、はまるでニューヨークかボストンから来た様な洒落た出で立ちでクラスの中で目立つ

ずっと遠くに好きだった人

ずっと昔に大好きだった人を想い、もしその人にもっと優しくできて、もっと広い心で接してあげて、もっと信じてあげたら、どうなっていたのかなと想うことがある。 若い頃は譲ることを知らず、また責めることは簡単にできたので、大切だったあの人たちとの関係が終わったとしても こんなもんか と吹っ切れるのも早かった。 素敵な人はまた現れるし、また恋に落ちるし、また喧嘩になるし。 そしてまた終わる。 過去に大切だった彼らとの写真は手元にはないと思っていたけど、今日整理していたハードドライブ

知らぬ所で基準になっていただきありがとうございました

何かの偶然で神様と出会って、意気投合して “よぉ、シマリス、誰でもいいから一人だけ時間と空間を超えて会いに行かせてやるよ” と言われたら悩まずに2人の名前を出す。 ただ、一人、という条件なのでその2人の間で悩まないといけない。うーん。 一人はDavid Attenborough(デビッド・アッテンボロー)さん。 BBCの自然科学ドキュメンタリーシリーズでお馴染みの彼は今年95歳。その功績と影響を讃えられ、エリザベス女王に Sir の称号を与えられた。 サー・アッテンボロー