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I Recall, Therefore, I Am

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山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”…
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2021年7月の記事一覧

忘れられない告白

中国の大学で教えていた時、ほぼ毎週男子生徒からラブレターを貰っていた。 色んな方法でラブレターはやって来る。 宿題に貼り付けて テストの裏の余白に 郵便で 手渡しで 友達を経由して そして自宅のドアに貼り付けられて 私は大学敷地内の教職員用の寮に住んでおり、通りを挟んだ寮に住む生徒等はなぜか教師の部屋番号や電話番号を知っていた。 生徒たちは教員用の建物に入ることは許されておらず、門番もいたのに一体どうやって忍び込んでいるのか不思議だったが何週間に1度か2度は部屋のドアに

スイカ兄弟の目論見

デザート用のスイカを半分に切り、赤い果肉を見た時にふと思い出した。 ずっと前に中国の大都市に住んでいたある夏、あまりにも暑いのでスイカジュースを毎日3杯以上飲んでいた。 *どれくらい暑いかっていうのはこちらの記事に書いています。 スイカジュースを作るために、自宅には常に大玉のスイカを2個冷蔵庫に入れていたのだが、とにかく大量に飲むため、1日おきくらいにスイカを買いに行かねばならない。大抵は仕事帰りに2ブロックほど離れた道に路駐されたオンボロのトラックで一玉(というか細長

5年経ったので連絡しよう

10年前にタイ南部に生徒を20名連れて修学旅行に行った。 その時に現地のコーディネーター会社にいたタイ人の男の子と仲良くなった。彼は生徒たちに一生懸命にジャングルの自然や海の生き物や、南国の植物なんかを紹介していたが、意図せずそんな説明に一番食いついたのは引率者の私だった。 大きなヤモリやら 美しいトカゲ! こんなに可愛い動物がいるのに生徒たちは ふーーん と興味がなさそうでガイドがかわいそうなほどだった。暑い国になれていない生徒たちの興味はもっぱら冷たいおやつや、海

スパルタのカラオケ in 中国

アメリカの大学院でやや燃え尽きていた私は2000年の頭に中国で英語を教える職を得、1年間の予定で引っ越しました。中国語も話せず、右も左もわからずでしたが、なんやかんやで5年以上そこで仕事をしました。 決して中国の暮らしが性に合っていたわけではありません。どちらかというと毎日 ”早く出たい、中国から遠く離れたところに行きたい” と切望していました。あれから随分時間もたち、今振り返ると理不尽で不公平で腹立たしい思い出が山ほどある中、中国で学んだ大切なこと・・・自分のことだったり

さよなら殺し屋

大学生の頃、クラスメートの男の子にデートに誘われた。 彼はクリクリの肩まで伸ばした赤毛に鼈甲のメガネをかけ、いつもパリッとしたシャツにチノパンというきちんとした格好で授業に来ていた。 私が通っていたロッキー山脈が見えるコロラドの大学にはそんな男子はいなかった。 みなパーカーかトレーナーに汚れたジーンズか短パン、靴下にサンダルもしくはトレッキングシューズなどのカジュアルな格好だった。 彼、ローマン、はまるでニューヨークかボストンから来た様な洒落た出で立ちでクラスの中で目立つ

あなたのお子さん? ”イエーーース!”

私は映画館に行くのがあまり好きではない。 理由は大きく分けて二つ:周りにたくさん人がいるところで映画を見ると集中できない、それとアメリカの映画館はたいていがあまり綺麗じゃない。床にポップコーンやらジュースのコップやらが散らかっていることが多い。 まとめると、民度の低い客が多い、という理由だ。上演中のおしゃべりや携帯でのテキスト、食い散らかしたゴミを置きっぱなし・・・そんな人間をお金を払って見るのが嫌だから行かない。最後に日本で映画館に行ったのは2008年だったが、私は静か