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I Recall, Therefore, I Am

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山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”…
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2021年6月の記事一覧

灼熱の教室と嘘

今日はサマースクールの初日!2020年の3月以来、初めて生徒たちを前にして授業をして心から楽しい時間を過ごせた。 ひとつ大変だったのは室内はマスクと換気が必須のため、エアコンは切られており、教室が蒸し暑かったこと。生徒たちにたくさん水を飲め、とコップに注いで回るが、なぜだか彼らはあまり水を飲まない。 のどが乾いてない、というが、乾いてからだと遅いのだ!熱中症になるよ!と脅してもちょびちょびとしか飲んでくれない。 そんな様子を見ていて、中国の某大都市の大学で初めてサマース

サワディカーしか言わない女

昨日知り合った 和歌子さんのnote を読んで、図々しくも似たような経験をしているな〜と勝手に共感し、もっと勝手に親近感もおぼえている。 彼女がお住いのタイについての記事も嬉しい。私はタイが日本に次いで好きだからだ。タイの話はこちら↓ 自分が書いている自分の経験もどこかでどなたかが読んで下さって親近感を感じたり、違いに驚いたり、そりゃねぇぜと唖然としたり、そうだそうだと共感していただいてるのかな・・・そうだといいなぁ〜うれしいなぁ〜 さて、その大好きな国、タイのあれこれを

音楽が連れてくる過去

学生の頃聴いていた音楽は“今”を楽しむものだった。 若い私は 今現在を楽しんだり、しんみりしたり、涙を流したり、愛を語ったりするために、この曲がふさわしいとかあのバンドのレコードをかけよう、と音楽を決める。 この歳になると音楽は過去を連れてくる。 今楽しんで聞いていたとしても、なぜか過去と直結している。 訪れた場所や、馴染みの喫茶店や、好きだった人や、私を振ったバカヤロゥなどにスルスルと繋がっている。 それは多分新しい曲を聞いたとしても、その詞であったりメロディであったり、

泥の女

アメリカに留学している時にフラメンコの教室を見つけ週に2回通うことにした。 中級から上級、プロの方もいるスタジオで、私は超初心者のため、先生がひとりついてくれ、最初の2日は2時間づつみっちり色々なステップの練習をした。年配の先生は 練習したら上手になるわよ〜筋がいいわ〜 と褒めてくれ、褒められて伸びるタイプの私は次のレッスン日まで家でウキウキでカタカタと練習した。 フラメンコシューズもふわふわのスカートも教えられたダウンタウンのダンス専用の店で一番安いものをとりあえず揃えた

目の色は何だった?

もうずっと昔、まだアメリカに来たての私は教科書やら雑誌やら映画やらで叩き込まれた ”アメリカの図” を頭の中に持っていた。フレンドリーで、人種や文化の違いがあらゆる場面で見られ、言語も習慣も多彩な国。単一民族国家から来た私がここに来た時には 右を向いても左を向いても 同じ顔や同じ様な格好の人がいるわけではないとは重々承知の上でアメリカ生活を始めた。 クラスメイトや寮の中、教授や職員、など身近に接する人も本当に色々な人たちがいて当時言われていた”人種のるつぼ”や”サラダボウル