手書きの手紙
雑誌Oyazineを送るとお礼のメールや手紙を
いただくことがあります。
僕より年配だとスマホやパソコンを使わない方もいて
(当然SNSもやっていない)
そういう方からは手書きのお礼状をいただくことがあります。
僕は仕事でパソコンを使うようになってから
当然のように文章の手書きは減り、
さらに手書きの手紙はここ何年も書いたことがありません。
手紙はパソコンで書いて出力しています。
手書きは強いて言えば、
年賀状に添えるあいさつ文ぐらいでした。
いただいた手書きの手紙を拝見して思うのは
皆さん達筆あるいは味のある筆跡で書かれた言葉たちが
とても印象深いことです。
さらに書き損じがないことも気になりました。
ペン類で書かれているので、消しゴムは使えないのに
書き損じなく一発勝負で書いています。
パソコンだと修正前提で書いているので緊張感が違うのだろう
などと勝手に思ってしまいます。
しかし実際には皆さん手書きに慣れているので
一発勝負などと気負うこともなく
さらっと書いているのだと想像します。
(僕はここまで書いた間に何回修正したことか。)
昨日、グラフィックデザイナーの先輩で
僕のことを「島君」と呼んでくれる
数少ない人のうちのひとりである
山口デザイン事務所の山口さんから
手書きの葉書が届きました。
そこには、Oyazineを読んでの感想と
記事に触発されて詠んだ一句が添えられていました。
手書きの文字に加えて
裏面は山口さんが活版で印刷したデザインの図。
素朴な葉書ですが読む側の想像力を
膨らませてくれる手紙でした。
やはり手書きの手紙をもらうと
いいものだと最近思います。
筆記用具を選び、言葉を選び、便箋や葉書に書く。
便箋は折りたたんで封筒の中に入れ、
封をして切手を貼り、住所を書き、ポストに投函する…。
こうやって書き出してみると、
なんと手間暇のかかることをやっていると思いますが
慣れれば当たり前のことなのだと思います。
パソコンで思いを伝えたくて長い文章を書いても
書いた言葉以上のものは伝わりません。
少ない言葉でも手書きの手紙には
言葉では表現できない何かが伝わる気がします。
ネット上で炎上したりトラブルが起きるのは
言葉だけが手裏剣のように武器となって
飛び交うからだと思います。
言葉だけのやりとりになってしまうと、
言葉の裏にある文脈を読み取る気持ちの余裕が
なくなってしまうのかもしれません。
などとパソコンのキーを叩いて
アナログな手紙のことを書いているという矛盾を感じつつ
来年の年賀状は手書きにしてみようかと思っています。