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中平卓馬写真展

 先月、東京国立近代美術館で開催されていた写真家、中平卓馬の写真展「火ー氾濫」を観に行った。館内の展示は一部をのぞきほぼ撮影可だった。写真の絵画主義や1点至上主義を否定していただけあって、いわゆる額に絵画のように収められた写真は少なかった。そして印刷物の展示が多いめずらしい写真展でもあった。写真展というよりは中平卓馬の痕跡をたどるような展示だった。

展示の仕方も中平卓馬らしかった
それまでの写真とは異なるタイトルと装丁のデザイン

 中平卓馬は大学の写真部の部室にあった「来たるべき言葉のために」という写真集を見て初めて知った。タイトル自体がそれまでの写真集とは違った。掲載された写真の多くは、モノクロで独特な暗さがあり、粒子は荒れ、ブレたりボケたりしたそれまで目にしたことがない写真家の写真だった。そして巻末には中平卓馬による長い文章が掲載されていた。その文章は既成の写真の否定だったような記憶があり、難解ではあったが、元「現代の眼」の編集者で言葉の世界の人が写真家になっただけあって、写真とともにその文章の激しさに感化された。彼が影響を受け仲が良かった森山大道も「写真よさようなら」というこれもまた中平卓馬と共通する暴力的とも言える写真で構成され、巻末には彼との対談が掲載されていて、その内容はまさに「(既成の)写真よさようなら」だった。二人の写真は、いわゆる写真表現を否定した写真による写真批評だったと言える。これにもまた刺激を受けた。二人は共に当時の写真界では異端であり、不良だった。若者にとっては権威や既成概念に歯向かう不良の精神は魅力的だった。当然のように自分の写真も暗い写真が多くなった。

展示の中にあった本人の写真。彼の写真と写真家らしくないその風貌がマッチしている。

中平卓馬はその後、酒で記憶障害になり、森山大道は薬に溺れた。そしてそれからしばらくして、それぞれのやり方で復活して新たな写真を撮り始め、今では若い人にも人気がある。中平卓馬は既に鬼籍の人となったが、この不良写真家たちは当時、こんな写真展が開かれるなんて夢にも思っていなかっただろう。僕もそう思っていた。

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