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割りばしとかまぼこ板とダンボール箱

僕が育った北九州八幡の紅梅町というまちは、町工場が立ち並ぶ下町だった。1970年代の後半から80年代にこのまちで幼少期と少年時代を過ごした。

紅梅町のまん中にライオン食堂はあって、そこは額に汗して働く町工場の工場労働者たちの朝昼晩の胃袋を満たす、まちの食卓だった。

両親と祖父母ともライオン食堂ではたらく商売の家に育った僕は、生まれてすぐ保育所に通い、保育所が終わってからはライオン食堂のある長屋の厨房の裏口のスペースが僕の遊び場だった。そこは日々食堂で消費されるキャベツの入っていた空のダンボール箱と、大量に捨てられるかまぼこ板が破棄される場所でもある。それらを拾い集めては、店のハサミやカッターを使って切ったり貼ったりして車や飛行機を作ったり、時には大工仕事が好きだった祖父のハンマーとノコギリを拝借して加工したりして、実に様々なお粗末なお城や橋を作った。時には店で使う未使用の割り箸を大量にもらってはゴム鉄砲やロボットなんかも作っていた。太いマジックで色を塗ったり模様を書き加えたり。

友達と公園を駆け回って遊ぶより、そこにあるもので何かを作ってはニヤニヤしながら一人で遊ぶ根暗な少年だったわけだけど、そこには常に手を動かして物を作る環境があって、そのことは僕の今の仕事に役立ってる。

あらかじめ決められた何かではなく場当たり的に今あるもので自由に何かを組み立てていくことのトレーニングだったといっていい。

さて、娘のにこさんは最近スライム作りにはまっている。小学生女子の間で大人気なのだけど、洗濯糊、ホウ砂、シェービングクリームや水を使って作る。絵の具を混ぜたりもする。にこさんはこれ以外に家にある様々な洗剤やら柔軟剤やらを自分なりに自由に混ぜて好みの柔らかさや硬さに調節している。部屋はこだわりの実験室さながらで。自宅のキッチンのテーブルには常にこれらの材料が常備され、いつでも実験開始できる状態にスタンバイされている。

ライオン食堂のようなハードコアさはないけど、僕らの家は、子供がいつでもすぐに手を動かしてなにか作れる状態にしておく。これが最近の我が家の子育ての暗黙のルールになっている。

思い立ったらすぐに手を動かしてモノを作り出すことができる場所と素材がいつだって自分のまわりのある環境は、絶対子供のクリエイティビティを刺激し育んでくれると信じ、自分の経験に照らし合わせて実験中。



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